大きさは、そこまで重要なのか?ロシアの巨根伝説・ラスプーチン
- 2019/03/14
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まだ生々しさが残る、伝説の巨根
中国の嫪毐(ろうあい)は2,200年、日本の道鏡は1,200年。今まで取り上げた二本の巨根は、実に古い、正に伝説上のものでした。しかし、今回取り上げる一本は、わずか100年ほど前のもの。持ち主の写真も数多く残っていますから、伝説と呼ぶにはまだ生々しい巨根なのです。しかし与えた影響は嫪毐や道鏡にも劣らぬものではなかったか?と、私、アントニオ犬助は考えています。
彼の名前はグリゴリー・ラスプーチン、1869年にシベリアのド田舎に生まれた彼が、ロシア帝国の首都ペテルブルグに現れたのが1900年ごろ。新興宗教の祈祷師として、催眠術や病気治療のノウハウを身に着けていた彼は病気の治療を広くおこない、人々の信仰を集めていました。
皇族ばかりか、宮中を夢中にした何
そんなラスプーチンに興味をひかれたのが、ロシアの皇族ミリツァ・ニコラエヴナとアナスタシア姉妹。神秘思想に傾倒していた彼女たちはラスプーチンに夢中になってしまい、ロシア皇帝ニコライ2世の一族にも紹介、皇后であるアレクサンドラの寵愛も受けるようになりました。ラスプーチンは皇室での影響力を大きくしていくのですが、きっかけとなったのが、難病にかかっていた皇太子アレクセイを祈祷により治療したこと。自身の子どもの命を救われた皇帝夫妻は、ますますラスプーチンに耽溺していきます。
そんな皇族から寵愛を受けるラスプーチンだけに、宮中の貴婦人からの人気も絶大なものとなりました。彼を中心にした彼女たちの集まりは、あたかも教祖と信者たち、といっても彼女たちは病気治療の能力だけを求めて、彼に群がったわけではありません。当時からうわさされていたのが、ラスプーチンの並外れた巨根と精力。彼の日常を怪しく思い、内偵を進めた秘密警察官が報告書に「醜態の限りをきわめた、淫乱な生活」としたためたほどですから、巨根を武器にラスプーチンは好き放題の生活を送っていたのでしょう。
死に様も凄まじい、ラスプーチン
そのころ300年続いていたロシア帝国は、危機に瀕していました。ラスプーチンがペテルブルグに現れたころには日露戦争に負けていますし、生活が苦しい市民による反乱があちこちで起こっています。何らかの手を打たなければならない時なのに、皇帝夫妻や宮中の女性たちはラスプーチンに夢中、1914年に第1次世界大戦でが勃発し皇帝が不在となると、ますます好き放題に振舞い始めたラスプーチンは、人々の恨みを一身に集めるようになります。
そして1916年、貴族たちの手によってラスプーチンは暗殺されてしまうのですが、その過程も巨根同様すさまじい。青酸カリ入りの食事を与えても、弾丸が心臓と肺を貫いても、背骨を貫いてもラスプーチンは、死なないばかりか立ち上がったとか。その後、頭蓋骨が陥没するほどに殴られ、額を拳銃で撃たれ、凍った川に投げ込まれ、彼はようやく息絶えた、享年47歳でした。
ロシア帝国に引導を渡した、巨根
そして程なく1917年にロシア革命が勃発、ラスプーチンと運命を共にするように、皇帝ニコライ2世と一族は射殺され、ロシア帝国は崩壊してしまいます。当然、帝国の国力はずいぶん衰えていましたが、引導を渡したのはラスプーチンとその巨根といってよいでしょう。
なんて話をすると「どれだけの巨根だったんだよ!」と、突っ込みが入りそうなものですが、驚かされるのは、彼の何が今も保管されていること。サンクトペテルブルグに2004年にオープンした「エロチカミュージアム」には、アルコール漬けになったラスプーチンの何が保管されており、約28cmという堂々たる姿で来館者を楽しませています。が、彼の娘のマリーによると、おそらく実物ではないのでは?とのこと。なぜなら、彼の何は33cmはあったはずだから……って、計ったのか!もうねえ、ラスプーチンは死後もたくさん突っ込みどころがあるのです。
というわけで道鏡、嫪毐、ラスプーチンと取り上げてきた3本の歴史的な「何」。国一つを大きく左右するほどだったから、よほど強烈な何だったに違いないのです。しかし、あえて私、アントニオ犬助は主張したいのです、大切なのは大きさではなく、愛であると。何が巨大なのは痛いだけであると、信頼できる筋からの証言も得ています。ただ、33cmもあったならばどうなのかについては、さすがに不明なのですが。