日本特有の『昭和ブルース歌謡』を振り返る

  • 2019/02/07
  • ライフスタイル・娯楽
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日本独自のブルースが繊細で美しい件

日本独自のブルースが繊細で美しい件
ブルースの歴史は古く、19世紀後半ごろに黒人霊歌や労働歌などから発展したという説があります。
時代とともに世界で数々のブルースの名曲たちが誕生したわけですが、日本も例外ではありません。

日本では1960年代後半~70年代前半にブルースが大流行。
B.B.キングやスリーピー・ジョン・エスティスらが人気を博し、国内でもブルース・バンドが次々に結成されました。

そして、日本独自のブルース・シーンが発展したことも忘れてはいけません。
日本の「親しみやすい」歌謡曲や演歌にも、ブルースの要素がちりばめられ、時代を経て愛され続ける名曲がたくさん生まれました。

今回はそんな「昭和ブルース歌謡」をピックアップ!
あなたはいくつ知っていますか?

 

和田アキ子「さすらいのブルース」

今も有名な「笑って許して」にあたる5枚目のシングルで、1970年にリリース。
作詞はなかにし礼、作曲・編曲は鈴木邦彦。

和田アキ子といえば、今ではご意見番として注目されることが多いのですが、筆者としては「もっと歌う姿が見たい」と思わせてくれる貴重なシンガーです。
デビュー当時のキャッチコピーである「和製リズム・アンド・ブルースの女王」は誇張などではなく、魂を揺さぶる歌声を長年に渡ってお茶の間に届けてくれています。

さすらいのブルースは、持前のダイナミックな歌声もさることながら、しっとりとした抑揚も素晴らしい。
非常に味わい深い一曲になっています。

 

藤圭子「女のブルース」

最近の若い子には「宇多田ヒカルの母」として知られていますが、彼女の全盛期を知る中高年にとってはレジェンドのような存在。
個性のあるハスキーな歌声と哀愁漂う暗く切ない曲が絶妙にマッチし、可愛らしい外見とのギャップも衝撃的でした。

「女のブルース」は1970年代にリリースした自身2枚目のシングルで、オリコンチャートでは堂々1位を獲得。
累計売上は110万枚という記録を打ち立て、確固たる人気を確立したのは言うまでもありません。
自作である「圭子の夢は夜ひらく」と合わせて18週連続1位という快挙も成し遂げています。

 

平和勝次とダークホース「宗右衛門町ブルース」

原曲は北原謙二の楽曲である「さよなら さよなら さよなら」ですが、サビの「さよなら さよなら」以外は書き直されています。
元々はネタとして披露していた曲でしたが、じわじわと人気に火が付き、1972年にメジャーデビューするや否や、200万枚の大ヒットを記録しました。

 

美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」

1966年にリリースされたシングルで、「新潟ブルース」「釧路の夜」とともに、ご当地ソング三大ヒット曲として知られています。
レーベルである日本クラウンが、曲の舞台にもなっている柳ヶ瀬とタイアップした結果、120万枚以上の売り上げを記録。
美川憲一がスターの地位に登り詰める起爆剤にもなりました。

同曲はブルースいう名こそついてますが、演歌に分類される曲調のため、当時は青春歌謡路線だった彼は「歌いたくない」と一度は断ったのだそう。
「歌えないならクビ」と言われたことで「この曲が売れなければ辞めよう」と思いながら歌っていたとのことですが、美しく深い歌声との相性は抜群!
高音の伸びはさすがの一言ですが、歌いだしの低音も絶品です。

 

本場のブルースとは全く違うけれど…

いかがでしたか。
今回紹介した曲たちは、本場のブルースとは異なり、哀愁たっぷりの歌謡曲に昇華されています。
最近の若い人には暗すぎてウケないかもしれませんが、昭和の歌謡曲の良さをヒシヒシと感じられる名曲ばかり。
カラオケで歌って気持ちがいいのも、歌謡曲ならではの良さですね!

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