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投手から野手コンバートの成功例は?

  • 2019/03/24
  • ライフスタイル・娯楽
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投手から野手コンバートの成功例は?

投手から野手へ
遊撃手から三塁手へ。
捕手から外野へ。
外野から一塁手へ。
チーム事情や適正などによりポジションのコンバートが行われることは、プロ野球においてそう珍しいことではありません。
ケース的には少ないですが、時には投手から野手にコンバートされる選手も存在しています。
今年も、日本ハムの白村明弘選手が野手にコンバートすることが発表されました。
投げるポジションから、打つポジションへ。
通常のコンバートと違ってプレー内容が根底から変わる大胆なコンバートですが、成功例はもちろん存在しています。

 

糸井嘉男(北海道日本ハムファイターズ→オリックス・バファローズ→阪神タイガース)

2003年ドラフトで、投手として日本ハムに自由獲得枠で指名された糸井嘉男選手。
入団以降一軍登板はなく、二軍でもそれほどの成績を挙げることができませんでした。
しかし後に「超人」と呼ばれるほどの高い身体能力を持っており、野手としての適性を見込まれ2006年4月にコンバート。
外野手として、第二の野球人生をスタートすることになります。
コンバートをしたその年にさっそくその才能を発揮し、二軍で打率.306をマーク。
2007年に一軍初出場を果たすと順調に伸びていき、2009年は一軍で打率.306をマークします。
その後は6年連続3割20盗塁を記録するなどリーグを代表する外野手になり、首位打者や盗塁王も獲得。
37歳になる今も、阪神で主軸として活躍をしています。

 

高井雄平(東京ヤクルトスワローズ)

2002年、ドラフト1位でヤクルトに指名された高井雄平選手。
高校ナンバーワン左腕の評判があり、メジャーのスカウトもチェックしていたほどの投手でした。
高卒ルーキーながらすぐに一軍で起用されることになり、防御率は5点台なものの5勝をマーク。
しかし制球難な所があり、翌年以降はこの勝ち星を上回ることが出来ず防御率も4点台~6点台のシーズンが続きました。
そんな日々が続いた後、2009年の秋から野手にコンバート。
翌2010年は、外野手として二軍で打率.283の成績を残します。
2011年はさらに二軍成績を上げ、2012年から一軍の試合に出場するようになります。
そして2014年、打率.316 23本塁打 90打点と大ブレイク。
現在もヤクルトのレギュラーとして活躍しており、昨年は打率でキャリアハイとなる.318をマークしています。

 

石井琢朗(横浜ベイスターズ→広島東洋カープ)

引退をした選手では、石井琢朗選手が有名です。
石井選手は1988年オフ、ドラフト外で大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。
ルーキーイヤーの1989年に早速一軍登板を果たし、17試合で防御率3.56の成績を残します。
しかしその後は伸び悩み、1991年のオフに監督に自ら野手転向を直訴。
これが最終的に認められることになり、1992年からは内野手としてプレーをすることになります。
石井選手はその年に早速一軍で69試合に出場し、打率.269をマーク。
翌1993年からはレギュラーを掴み、最終的には通算2432安打を記録する大選手となります。
1998年にはマシンガン打線としての一員としてチームの日本一に貢献しており、盗塁王や最多安打も獲得。
現在は、ヤクルトで打撃コーチを担っています。

 

ブレイクした選手も存在!

投手と野手。
全くプレー内容が異なるポジションでも、このようにコンバートをしたことでブレイクした選手も存在しています。
元々投手になるような選手は野球センスが高いと言われており、上記の選手はそれが野手としての成功にも繋がったということなのでしょう。
もしかしたら今投手をやってる選手の中に、いずれ侍ジャパンのクリーンナップを担うような選手が潜んでいるのかもしれません。

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