G-SHOCK開発秘話!落としても壊れないデジタル時計はこうしてうまれた
- 2018/04/02
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オヤジも子供も知っているデジタル腕時計の代名詞と言えばG-SHOCK。
’17年には累計販売個数1億個を突破し、今もなお売れ続けているという。
筆者も学生時代の時計は、G-SHOCKだったが、この時計、たった一行の企画書から生まれたという。
知られざるG-SHOCKの開発秘話を今回解き明かしていこう。
昔の時計は簡単に壊れて当たり前だった
G-SHOCKの生みの親の伊部菊雄さん(カシオ計算機時計事業部)は、入社5年目の’81年、学生時代に親から貰って、ずっと身に着けていた腕時計が、ある日、バラバラに壊れたのを見て驚いた。
この時代、ロレックスはオメガなど高級自動巻き腕時計を買えるのは、会社の役員のみ。
入社5年目の中堅は、学生時代から使っている腕時計が壊れていなければそれで我慢していた。
『時計って本当に壊れるんだ』伊部さんは、腕時計が壊れた時にショックを受けず、むしろ、驚きと感動を覚え、企画書を書いた。
『落としても壊れない時計』A4の企画書に一行だけである。
企画書が通り、’81年5月、G-SHOCKの開発がスタート。
何故この企画書は通ったのか?
諦めた頃に、神様が味方した
伊部氏の企画書にゴーサインが出た理由は、彼の勤務していたカシオ計算機の研究センターの近くで、当時、道路工事が行われており、土建会社や、技術者など、ハードな環境でも使える時計作りを目指す、という意味で、開発が行われた。
だが、ここから伊部氏の苦悩が始まる。
発売は社内で’83年4月と決まっているのに、’82年秋を過ぎても、基本構造すら出来ない。
当初は、時計の基盤に加わる衝撃を吸収する為にゴムでもつけておけばいいと甘い考えていた伊部氏。
その考えはことごとく打ち砕かれ、社内では、衝撃テストをする為に、研究センターのある三階から
毎日時計を投げ捨てる伊部氏の姿が名物化していた。
年が明け、辞表を出すべく、身辺整理の為、休日出勤した伊部氏は、研究センターの隣の公園で、小さい女の子がゴムまりをついている姿に釘付けになった。
時計基盤を衝撃から5段階に守る為、異素材を組み合わせるだけでなく、時計基盤を、衝撃吸収材の、中心部に『浮かせて置く』事で、基盤を衝撃から守るという発想だった。
製品発表まであとわずかという所で、時計本体構造が出来、時計のベルトは当時、どのメーカーもやっていなかったウレタンを起用する事に。
あの独特のフォルムは、業者泣かせだったというが、伊部さんが工場に四か月通いつめ、技術者に平謝りした結果、実現したものなのだという。
そしてG-SHOCKは、予定通り’83年4月、世に送り出された。
当初は技術者の為の時計として発売されたこの時計、何故、米国で人気の火がついたのか?
人気は想定外だった
G-SHOCKの人気は開発したカシオ計算機の『想定外』から始まった。
発売された翌年の’84年、米国で放映されたG-SHOCKのCMは、日本人のド肝を抜くものだった。
アイスホッケー選手がパックの代わりに、G-SHOCKをうち、シュートを決める、
トラックに轢かれた後のG-SHOCK、これらが動き出すというものなのだ。
こんな強度を想定して作ったわけじゃない、伊部氏は、今度こを辞表を書かなければと青ざめた。
だが伊部氏が心配する必要もなく、以前から丈夫でファッショナブルな時計をと探していた、スケートボーダーたちが、このCMを見た後、飛びつき、自分たちのファッションとして取り入れたのだ。
日本には、’90年代に、ボーダーファッションが流行り、G-SHOCKも逆輸入という形で、雑貨店に並ぶ様になった。
今から20年前の’97年には、世界で600万個うれる腕時計となった。
その後一時期、機械式腕時計や、トゥルービヨンが若者の間で人気となり、デジタル時計離れが進み、一時期、G-SHOCKの売上は落ちた。
しかし今では、1万円代の初期を彷彿とさせる廉価版から、10万を超えるプロフェッショナルモデルまで。
ラインナップを豊富にそろえる事で、売れ行きを回復させた。
商品テストは、昔よりはるかに厳しくなっており、落下、ハンマー打ちなどの衝撃テストだけでなく、電圧、遠心力、磁力など、様々な耐久テストをクリアしたものでないと市場に出回らないという、タフネス時計の代名詞だ。
トゥルービヨンで、人工衛星と同じ部品を使い、落としても踏みつけても壊れない時計を作ったのは、リシャール・ミルだが、何千万もする時計は誰でも買えるわけではない。
それを考えると、G-SHOCKは、オヤジの夢をかなえてくれるタフネス時計だ。
伊部氏は語る。
『いつか宇宙で使えるG-SHOCKを見てみたいですね。G-SHOCKの成功は、自分の成功というより、周囲の人とお客様の助けがあっての事ですから。』
そんな思いがあったからこそ、伝説の時計は産まれたのかもしれない。