プロレスラーが海外に修行へ!と聞くがどこに行くのか?
- 2019/02/02
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提携している団体のテリトリーが一般的
海外武者修行、いい響きですね。
期待の若手が送り出されるのが、武者修行。海外のプロレス団体で経験をつみ、プロレスのスタイルやキャラクターを確立。華々しく凱旋帰国してメインイベンターへというのが、少し前まで日本のプロレス界では出世コースの王道でした。
そして武者修行の行き先は団体により、ある程度は決まっていたもの。
1980年代の新日本プロレスならばヨーロッパを経由して、アメリカ北東部やカナダ・カルガリー、全日本プロレスならばアメリカ中南部が定番。それぞれが提携していた団体のテリトリーに若手レスラーを送り込んでいたのですね。
とはいえ日本の団体がやってくれるのは、修行先への口利きと、片道分のチケットを用意してくれるぐらい。その後は各レスラーの自主性に任されていたものでした。
日本からのギャラなど期待できませんから、自分で稼がなければなりませんし、言葉も文化もまったく違うところで生活していかなければならない。プロレスの技術や肉体だけでなく、精神的にも大きく成長することを期待されるのが、海外武者修行だったのです。
送り出されるのではなく、いきなり海外で
しかし、そんなケースが当てはまらなくなってきたのは2000年前後。
ウルティモ・ドラゴン氏がメキシコに設立した「闘龍門(とうりゅうもん)」やTAKAみちのく氏がプエルトリコに設立した「KAIENTAI DOJO(かいえんたいどうじょう)」など、日本人レスラーが養成所を海外に設立。修行からデビューまでを海外で経験、そして日本に逆上陸するケースが増えてきたのです。
いきなり海外修行、この先駆けとなったのは恐らく山田恵一氏。
低身長のため日本のプロレス団体への入門をあきらめた山田氏は、高校を卒業した1982年ごろ、単身メキシコに渡り修行。そこで出会ったグラン浜田氏の口利きにより、新日本プロレスへの入門を実現させるという、実にめちゃくちゃなことをやっている。その後、山田氏はリバプールの風となり「獣神ライガー」なるレスラーが登場したことは、よく知られています。
武者修行で出世しすぎたとか、修行しすぎたとか
すでに述べたとおり、昔は海外武者修行で何をするのかについては、本人に任されていました。それだけに武者修行中に大成功を収めてしまうケースもあり、その代表がキラー・カーン氏。日本人離れした肉体とモンゴリアンギミックでブレイクした氏は、WWF(現WWE)でメインイベンターまでに成長、現地では日本円で週給600万円を稼ぐトップレスラーに上り詰めました。
一方で修行自体が面白くなってしまったケースもあり、その代表が木戸修氏。彼は新日本プロレス・ストロングスタイルの体現者、カール・ゴッチ氏の道場で沈没。誰も追従できない「いぶし銀スタイル」をフロリダ州タンパで確立し、ゴッチ氏から「ムスコ」と呼ばれるまでに成長。これも海外武者修行の成果といえますが、その間の生活費はどうしていたのか気になるところです。
団体が若手の飛躍を期待、行き先も決めるケース
以上が印象に残る昔の海外武者修行なのですが、新日本プロレスでは、現在でも海外武者修行は健在で、最近送り出されたのはタッグチーム「ROPPONGI 3K」のYOH選手とSHO選手。
彼らは、2016年1月から2017年10月までメキシコの団体「CMLL」とアメリカの団体「ROH」で修行。2人そろって出かけて、帰ってくるタイプの武者修行は、私、アントニオ犬助の記憶にはありませんから、団体は完全にタッグ専門で売り出す予定で海外へいかせた模様。狙いは大成功で、凱旋帰国後いきなりIWGPジュニアタッグ王者に輝いています。
なぜ彼らの行き先がメキシコだったかは、団体同士が提携していたことと、ジュニアヘビー級で需要が高いメキシコ(ルチャリブレ)のスタイルを会得することを期待されていたから。このように考えると、同じ海外武者修行でも育つに任されていた昔と、今とでは大違いといえるのです。