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芸術作品がオリンピック競技としてメダル争いをしていたなんて

  • 2018/11/20
  • ライフスタイル・娯楽
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なぜか芸術が競技されていた

なぜか芸術が競技されていた
学校の部活は、大きく体育系と文化系に分けられます。
そしてそれぞれに体育祭と文化祭があるように、きっぱり線引きをされているのが当たり前に誰もが育った来たことでしょう。
スポーツの祭典があれば芸術の祭典があるように、混じり合うものなど無さそうなものです。
あるとすれば、フィギアスケートや体操などのような採点に芸術点の含まれるスポーツにおいてだけでしょう。
ところがかつてのオリンピックでは、普通に芸術がそのままオリンピックで採点競技として採用されていたのです。
「より強く、より高く、より速く」のオリンピックイメージと、全く接点も感じられない競技があったことになるのです。
どこでどうしてそんなことになったのか、知れば知るほどオリンピックの奥深さを垣間見れるのではないでしょうか。

 

芸術競技とは

芸術競技とは
・導入の歴史
芸術をオリンピック競技に組み込んだのは、近代オリンピック創設者のクーベルタン男爵の一声をきっかけにしたものとされています。
絵画、彫刻、文芸、建築、音楽と幅広い種目でテーマをスポーツにした作品を採点する競技とされていました。
1912年ストックホルムオリンピックから1948年ロンドンオリンピックまで実に7回も継続して行われていた時代もあったのです。
それでも当初は開催国スウェーデンの理解は得られないままの開催でした。
ですが、1920年アントワープオリンピック、1924年パリオリンピックと定着し始めて1936年ベルリンオリンピックでは隆盛を極めたのです。
・キーワードは「肉体と精神の向上の場」
近代オリンピックの創立者クーベルタン男爵は、オリンピックの理念として「肉体と精神の向上の場」を掲げていました。
スポーツはもちろん、芸術も「精神の向上」として何の抵抗もなくオリンピックに組み込まれたのです。
これらは古代においては全て神を表現しているものだったのです。
ですから現代では違和感こそありますが、目的としては同じ領域の世界観があったのでしょう。
・日本人も参加していた
1932年ロサンゼルスオリンピックの版画部門で長永治良が作品名「蟲(むし)相撲」で佳作に入賞しています。
1936年ベルリンオリンピックの絵画部門で藤田隆治が作品名「氷上ホッケー」で銅メダル、デッサン部門で鈴木朱雀も作品名「古典的競馬」で銅メダルを獲得しています。
作曲部門でも江文也が作品名「台湾の舞曲」で4位に入選しています。
また、童謡などで誰もが知っている作曲家の山田耕作も選外にはなりましたが、作品名「行進曲」で参加していました。
あの山田耕作がオリンピックに出場していたとは、話のネタにもなる雑学に入れておきたいものです。
他にも選ばれた当時の芸術分野の精鋭たちが参加していたことはあまり知られたことではありません。

 

芸術競技の終焉とその後

芸術競技の終焉とその後
芸術競技が行われなくなったのはご想像の通り、芸術の価値を評価するのは難しく非常に主観的な採点がされるためか、現代オリンピックにはそぐわなくなったのでしょう。
現在のフィギアスケートのような芸術点のルールに一定のものも無かった時代ですからなおさらだったのではないでしょうか。
それだけでなく、絵画などの作品の運搬の手間や経費の問題もあったのです。
1948年ロンドンオリンピックでは、ルール改正の影響や賞金の問題なども浮かび上がり、この大会を最後に芸術競技はオリンピック競技から消え去ったのです。
1952年ヘルシンキオリンピックからは、芸術は競技としてではなく展示としての参加に留められています。
そして1992年バルセロナオリンピックからは、文化プログラムとして実施されるようになっています。
それもオリンピック憲章の規定に則ったものであり、演劇やコンサートなどのイベントも併せて実施されるようになったのです。

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