相撲の伝統とは?かつては女性も同じ土俵で相撲を取っていた!?
- 2018/04/10
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女性は土俵に上がれないのかという議論の最中
先日、倒れた男性を介抱しようと土俵に上がった女性を杓子定規に注意したとか、塩をまいたうんぬんとかいう一件があって、再び熱を帯びてきた「女性と土俵論」。
いつもなら両論に分かれた文化人たちが言い合いするも、その後はいつしか解決策もなくうやむや…というのがオチなのだが、今回に限ってはある1本の論文を巡って、賛否どっちサイドもザワザワしていると言うではないか。
その論文というのが
▼相撲における「女人禁制の伝統」について(北海道教育大学名誉教授・吉崎氏ら)
短い内容ではあるが、最初にあくまで女人禁制に異議を唱える立場から考察していることは断っておかねばならない。
しかしこの論文、さすがにちょっとおもしろいところをついており、女人禁制賛成論派の方にもぜひ一言お伺いしたい気持ちでうずうずしてしまう。
内容はこんなところです
実際に読んだオジサンが大事だと思って赤線を引いたところを列挙すると
(1)相撲と神道との関わりが深いことは事実で、平安時代の宮中行事「相撲節」儀式が起源か
(2)ほかに仏教や修験道とも関わりはあったものの、相撲はなぜか仏教界からは「排除」されていた
(3)女性がとる「女相撲」は日本書紀に初めて出てきて、室町時代になっても禁止されなかった
(4)古い国技館があった場所は両国の「回向院」と呼ばれ、すでに土俵が存在し、そこでは同時期に女相撲も勧進相撲も行われていた
(5)女性も参加する相撲を風俗の観点から取り締まったのは相撲協会(当時でいう会所)ではなく、寺社奉行だった
(6)当時女性の相撲観戦も禁止されていたが、それは女人禁制ではなく、男の観客が熱くなりすぎることから、安全面で配慮したものだった
(7)風俗取り締まりを目的とし、男と女でとる男女相撲は禁止されたが、その後も女相撲は禁止されなかった
(8)昭和までとられた女相撲を禁止したのは結局警視庁で、相撲協会ではない。そればかりか協会は女相撲、女性参加そのものにまったく関心がなかった
(9)相撲が国技になったのは明治42年だが、その直前はというと前近代的な相撲界自体が「消滅」の危機にあった
(10)神社で行われる予定だった見世物相撲さえ、大久保利通により禁止された経緯がある
(11)国家の近代化に伴い、外国人に裸の「興行」をみせるべきでないという時勢に応じて(板垣退助談)常設の相撲場、国技館が設立された
(12)国家が相撲を国技としたのではなく、相撲界が地位向上のために国技だと自称したものが広まった
(13)そのため仲が良かった神道との関わりをことさら強調し、神道の女性を差別視する観念が「後付けされた」。
つまりどういうことなの?
簡単に言えば、
▼相撲における女人禁制の歴史は驚くほど短く浅い
▼というか協会は女性と関わろうとしていなかった
▼「神道」イコール「女性のけがれ観」を持ち出したのは、自分たち協会の身分向上のために神道を最大限使いたかったから
▼実はその神道にも冷たくあしらわれた歴史がある
とまあ、相撲界の女人禁制にはなんの根拠も重みもなかったというわけ。
こういう話題は、宗教上、神のような存在を畏怖する立場だけから見れば、どこまでいっても「土俵は恐れ多い場所で女人禁制もやむなし」になる。
一方その途中の歴史込みから見れば「神だから女人はダメ」がいかに真ん中が抜かれた短絡的な主張かを突かれて、全然かみ合わない議論になる。
相撲が現代の隆盛を享受できるようになったのは、明治以降の「大転換政策」が大きく、それまで「見世物」「荒くれ者たちのたまり場」「オトコとオンナも相撲を取り合っていた」ことなどは、どう考えても隠しておきたい協会(当時の会所)の黒歴史に違いない。
だから禁制を貫くにしても、なにも「神代の時代から相撲の儀式は厳かなるもので…」と威張るのではなく、「ええ、明治に再建していただいた先輩方に習って、いまも禁制なんです」と開き直った方がスッキリすると思うのだが。
ちょっとこんな裏話を知っておくと、今後の展開がいっそう理解できそうですね。