プロ野球の歴史 楽天ゴールデンイーグルス編
- 2017/06/20
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最も新しい球団
楽天ゴールデンイーグルスが創立されたのは、2004年。
他の11球団に比べて歴史が浅いのですが、それはつまり最も新しい球団ということにもなります。
この楽天ゴールデンイーグルスの歴史を語るにおいて、近鉄バファローズの存在を欠かすことはできません。
大阪近鉄バファローズの終わり
楽天が加入する前、パリーグ6球団の1つとして存在をしていた大阪近鉄バファローズ。
「いてまえ打線」による攻撃的な野球を特徴としており、中村紀洋など数多くの名選手を輩出しました。
ただ近年こそパリーグの人気も上がってきましたが、かつては「人気のセ 実力のパ」とも言われており、近鉄も人気球団とは言えませんでした。
球団だけではなく近鉄グループの経営難も深刻化をしていき、2004年のシーズンを持って解散。
営業権はオリックス・ブルーウェーブの譲度されました。
この経緯から、オリックス・ブルーウェーブはその球団名を「オリックス・バファローズ」に改名。
ベースはオリックスですが、バファローズの名前も残ることになりました。
ライブドアとの競争
近鉄の決定を受け、一時は1リーグ制が持ち上がるなどプロ野球界は揺れに揺れました。
そんな時に、新規参入を表明したのが楽天です。
同じIT企業であるライブドアも参入を表明しましたが、選ばれたのは健全性が評価された楽天。
こうしてプロ野球は、2リーグの形を保つことができました。
分配ドラフト
野球をするには選手がいなくては始まりません。
そこで行われたのがオリックスの選手と近鉄の選手を対象とした、オリックスとの分配ドラフト。
この分配ドラフトにより楽天は、元オリックスと元近鉄の選手を40名確保することができました。
ただこのドラフトはオリックスがプロテクトした25名や外国人選手、入団目までの若手を対象外としています。
岩隈久志や礒部公一といった例外的にオリックスを拒否し楽天に入団をした主力選手もいますが、それでも楽天の戦力は乏しく年齢層も高い状態でした。
アマチュア選手を対象とした通常のドラフトにも参加をしましたが、戦力的には全く足りていない状況でスタートをすることになりました。
監督には、田尾安志氏が就任をしました。
苦難の創立期・・・そして日本一
ペナントレース参入初年度の楽天は最下位。
それも首位に50ゲーム以上離されるという、圧倒的な弱さでした。
選手層を考えれば、それも当然と言えるでしょう。
翌年からは監督を野村克也氏に交代。
監督が代わっても苦戦は続き、2年連続の最下位。
しかし少しずつ戦力は整っていき、参入3年目のシーズンは4位。
着実に他のチームとの差を埋めていき、そして2013年には星野仙一氏の指揮下でリーグ優勝と日本一を手にしました。
参入9年目での優勝となりましたが、これはむしろ驚くべき速さと言えます。
エース・田中将大がメジャー挑戦をしたこともあり2014年から3年間はまた低迷をすることになりましたが、この2017年は熱い首位争いを繰り広げています。
ファンが望んでいるのはもちろんあの時と同じ景色、日本一でしょう。