意外?宝くじに行列する人と、狂牛病騒ぎに過敏に反応する人の共通点
- 2019/03/19
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毎年、年末ジャンボを買うが全く当たらない人、当選確率が何十倍になると判っていながらライブチケットの抽選に申込む人の心境は、どんなものだろうか。
確率が低いのは判ってる、でも夢を買うんだからいいじゃないか、と言うだろう、だが現実は甘くない。
そんな宝くじに行列する人の心境が、ある意外な事に共通する事が判明したといえば、一緒にしないでくれと言われそうだ。
その理由を解説していきたいと思う。
交通事故に遭うより低い当選確率
ジャンボ宝くじは、1ユニット1000万本あたり、1等は1本。
年間5回発売されるので、すべて買ったとしても、当選確率は単純計算で、200万分の1になる。
皆が皆1本しか買わないわけではないだろうから、競争率は高くなる。
極論になってしまうのだが、’18年の日本国内の、交通事故死者数は3532人だった。日本総人口が1億2000万人だとして、死ぬ確率は3万分の1だ。
確かに公益くじは、ジャンボ宝くじ以外にも、ロト6、ナンバーズなど色々あり、これらの当選確率を全部あわせても、貴方が交通事故に遭う確率より、低いのは確かなのだ。
が、そんな話を、宝くじ売り場で並んでいる人にした所で、相手にして貰えないのがオチだ。
誰もが『今度こそ、前後賞ぐらい当たってもいいじゃないか。』という気持ちで並んでいるし、10人に1人の6等は当たっても嬉しくないだろう。
そう思うのは何故なのか。
これは、人の感情や願望が入ると『宝くじで当たる確率』を自分の中で都合よく解釈して、当選確率を高くはじき出してしまうからだ。
宝くじやライブチケットだけではない。
人の願望、恐れといった感情が入ると、物事を合理的に進められなくなってしまう上、提示されたデータを正確に比較する事も出来なくなってしまう。
それは何故なのか。
考えるコストを放棄してしまう恐ろしさ
宝くじが『巧い』と思うのが、売り場によって『この売り場から高額当選者が出ました』という案内が出ている事だ。
人によっては、高額当選者を連続で輩出する所で買えば、自分も将来その幸せに、あやかれるだろうと思う、これが『願望』だ。
行列や、その道のインフルエンサーのブログ、耳さわりの良い情報というのは、人間から『考えるコスト』を奪ってしまう。
考えるのが面倒だから検索しよう、誰かに聞けばいいと自分で調べる前に教えて症候群になる、右に習えと行列に並んでしまう、長いものに巻かれるという風にだ。
考えるのが面倒になると、提示されたデータをきちんと読み取れなくなる上、ふと立ち止まり、冷静に物事を考えられなくなる。
何か行動を起こすにあたり、考えるコストを省き、直感でやってしまうと、物事で失敗した時に対する学習能力がなくなり、同じ過ちを繰り替えず様になる。
当たらないライブに何度も何度も応募する人や、当たらない宝くじに応募する人が、感情と直感と願望で動いているのだとすれば、’00年におこったBSE問題で、過敏に反応した人を支配したのは思慮ではなく恐怖だろう。
日本人患者は、たった1人で、原因は欧州を旅行し、牛の内臓を食べていた事が原因だったのにも関わらず、当時、政治や世間の反応はパンデミック並となり、焼肉屋は閉店、吉野屋は豚肉を出し、畜産農家の中には自殺に追い込まれた人も居た。
これらの原因は、考えるコストを失われた人たちがテレビからの情報を鵜呑みにし、恐怖に支配されたからではないかと思う。
いかがだろうか。
ちなみに、人生に置いて、行列に並ぶ前に『これに並ぶ必要はあるんだろうか』と考える人は、必要以上にアクティブにはならないはずだし、言葉も選ぶので、ふとした事で失言をすることもないはずだ。
考えるコストを奪われてしまった人は、ふとした事で、とんでもない失言をする事もある、こうした事も頭の隅に置いておいたほうがいいかもしれない。