年相応のオトナになりたいと考える場合には、自覚をしなくてはならない!
- 2019/04/13
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あの横綱も気がついたら歳下だった
男性はいつ、自分が歳をとったと自覚するのか?
私、アントニオ犬助は周りの連中に、こんな質問をしたことがあります。その中で最も多かったのが、横綱が自身よりはるかに歳下だったときというもの。次いで多かったのが、プロ野球界でベテランと呼ばれる選手が……というものでした。たとえば、先場所全勝優勝を決めた平成の大横綱・白鵬翔関は34歳、球界最年長の読売・上原浩治投手は43歳。両者とも私、アントニオ犬助よりも、はるかに若い。下手するとプロ野球の監督ですら歳下だったりしますから、自身の歳の取っぷりに大いに驚かされるのです。
にもかかわらず、あの風格はどうなのだ?たとえば、我らが阪神タイガースの最年長といえば、福留孝介選手(41歳)なのですが、もし顔を合わせる機会があったなら犬助は、100%敬語で話しかけることでしょう。だって、恐れ多くてタメ口など叩けるはずがないのですから。
彼らの老成ぶりは、いったいどこから?
ここで考えてしまうのは、彼らと自身との差なのです。あの落ち着きっぷり、いったいどこから来ているのか?横綱にしろプロ野球のベテランにしろ、彼らが身を置いているのは、厳しい勝負の世界。結果を出し続けてきたからこそ、現在の地位をつかんだのです。彼らとくらべれば、犬助の送る日常はぬるま湯のようなもの。風格や落ち着きに差が出て当然でしょう。
加えて忘れてはならないのが、彼らの風格は環境だけで成されたものではないということ。横綱ならば角界を引っ張っていく、プロ野球のベテラン選手ならばチームを引っ張っていくという、当人たちの自覚があってのことだったということです。
「若い」は、ほめ言葉ではないと自覚すべし
犬助はよく、仕事上で知り合った人から「若いですね」といわれます。この言葉は自分が歳をとったと自覚し始めたころは、お世辞半分としてもうれしかったもの。最初はジム通いをしているからかな?とか、服装にも気を使うようになったからかな?とか、かなりポジティブに受け取っていたものです。しかし、その回数が度重なると「それって、ほめているのか?」と、疑問を抱くようになりました。
若く見えるということは、実年齢と雰囲気がつりあっていないということ。つまり、見た目がオヤジなのに中身だけが若いという、非常に気持ちが悪い、もしくはイタい状態であることを指摘されているのではないか?と、いう結論にいたったのです。つまり、中身を歳相応にしなければならないということなのです。
自身の年齢を自覚することが必要なのだ
若い連中の話題に無理をして入らないとか、何か発言をする前にいったん考えるとか、喜怒哀楽を表に表さないとか。何でも良いですから、自身が歳相応と考える行動を取るべきということです。この時にロールモデルを設定するのですが、たとえば犬助が設定しているのは、映画「ゴッドファーザー」におけるアル・パチーノ……は、重厚すぎますから、映画「フェイク」で彼が演じたレフティです。
こうすれば、たとえば若い連中と飲みにいったり、カラオケにいく機会でハメをはずしたりはしなくなる。アル・パチーノならどれだけ間違っても、米津玄師やあいみょんを熱唱したりはしないはず。河島英五や柳ジョージといった、渋いところに落ち着くはずなのです。
つまり、私、アントニオ犬助が遅ればせながら自覚したのはオヤジになるためには、オヤジになると覚悟を決めなければならないということ。覚悟によって行動も変わりますし、ファッションも変わる、それらが積み重なって始めて歳相応の風格が付くというものなのでしょう。白鵬翔関、上原浩治投手、福留孝介選手がやってきたことというのは、スケールは違うものの、自覚という点では同じことだとおもうですが、いかがでしょうか?