春の風物詩と言えば「お花見」!起源や歴史を知っておこう!

  • 2019/03/26
  • ライフスタイル・娯楽
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  • 松村 昴
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春の風物詩の1つ「お花見」

春の風物詩の1つ「お花見」
新しい生活がスタートする春ですが、春の風物詩と言えば「お花見」ではないでしょうか。新入生や新社会人の歓迎会として、お花見をすることもあるはずです。仲良くなるのにちょうどいい行事であり、毎年楽しみにしている方も多いことでしょう。

お花見は、日本の伝統行事と言っても過言ではありません。しかし、意外と「お花見の起源や歴史については知らない」という方が多いのではないでしょうか。そこで今回は、お花見の起源や歴史などについて紹介していきます。

 

「お花見」の起源は奈良時代!

お花見の起源についてですが、奈良時代にはすでにあったとされています。ただし、当時は桜ではなく、梅を鑑賞していました。桜でお花見をするようになったのは、平安時代からとされています。

また、当時のお花見は今のようにお酒やお団子、お弁当などを楽しむようなスタイルではありません。当時はお祓いのための宗教的な行事として行われていたのです。そのため、お花見は現代のように楽しむような行事ではなかったのです。

 

「お花見」の歴史について紹介

先ほど紹介したように、奈良時代のお花見は梅が鑑賞の対象となっていました。しかし、平安時代から桜となります。これは、遣唐使が廃止されたからとされています。桜は日本古来の花ですが、梅は中国から伝わったものです。そのため、遣唐使の廃止で中国の影響を受けにくくなり、日本では「花」=「桜」という認識に変化していったとされています。

ちなみに、桜によるお花見の起源は嵯峨天皇が812年に開催した「花宴の節」が有力です。平安時代の歴史書である「日本後記」に記されています。平安時代のお花見では、貴族が桜の下で歌を詠み楽しんでおり、一般庶民が楽しむ行事になるのはまだ先のことです。

 

今のような「お花見」は江戸時代に確立!

今のように、一般庶民が楽しむお花見のスタイルが確立されるのは江戸時代とされています。戦国時代(安土桃山時代)に豊臣秀吉が「吉見の花見」や「醍醐の花見」を開催したことが有名ですが、これらもあくまで公家や大名、武将らのお花見で庶民が楽しんだわけではなかったのです。

江戸時代の三代目将軍・徳川家光は、庶民にも桜を楽しんでもらおうと桜の植樹を推奨します。その後の将軍も、植樹を推奨したことにより、各地に桜の名所が誕生したのです。これにより、庶民にとっても桜が近しい存在となっていったのです。

そして、今のようなスタイルのお花見となっていきました。お花見の歴史は古いですが、現代のようなスタイルになったのは江戸時代からだったのです。

 

「お花見」は海外でもあるの?

日本の春の風物詩であるお花見ですが、海外でもあるのか気になる方も多いのではないでしょうか。意外かもしれませんが、実は海外にもお花見は存在します。アメリカの首都であるワシントンは、日本から寄贈された桜があり桜の名所として有名です。そして、毎年「全米桜祭り」が開催され、お花見が行われています。

また、カナダのバンクーバーでも毎年「バンクーバー桜祭り」が開催されており、中国の武漢でも「桜祭り」が開催されているのです。武漢の東湖桜花園は桜の世界三大名所とされており、夜桜も堪能することができます。ぜひ、海外でもお花見をしてみてください。

 

今年も伝統行事の「お花見」を楽しもう!

日本の伝統行事と言ってもいいお花見ですが、奈良時代には行われていたものの当時は梅が鑑賞の対象です。その後、平安時代に桜が対象となり、そして江戸時代になってお花見は庶民も楽しめるものとなったのです。

今年も日本全国で桜は満開になることでしょう。ぜひ、今回紹介したお花見の豆知識を頭に入れながら、お花見を堪能してください。

この記事の作者

松村 昴
松村 昴
大学生時代からギャンブルを愛するフリーライター。 競艇・競馬・カジノがとくに大好き。 現在は全国24競艇場を旅しながら記事を執筆中。 趣味はアウトドアでキャンプやサイクリングで気分転換。
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