平均寿命70歳?戦後6場所になっても元横綱の寿命が短い件について
- 2019/02/03
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相撲の取組を見て思うのが、横綱の寿命は短いという事だ。
横綱に限らず、相撲力士全体の寿命は日本人平均男性の寿命80歳に比べると短い。
戦後6場所制となってからでも、長寿、健康を全うしている元横綱は皆無だろう。
還暦を過ぎても現歴時代の古傷や生活習慣のツケに悩まされる力士は多い。
では戦後の歴代横綱は平均何歳ぐらいで、お亡くなりになっているのだろうか。
仮に長生きしているとしても、何等かの形で患う理由はどこにあるのか。
平成になっても伸びぬ力士の寿命
相撲が6場所制になったのは、1958年(昭和33年)からだ。
この時から横綱は27人誕生しているが、’19年現在、現役は白鵬と鶴竜の2人。
存命の元横綱は、この間引退した稀勢の里を含め、6場所制になってから誕生した力士から数えると15人と少ない。
鬼籍に入った10人の平均年齢は70歳なので、6場所制になっても以前、力士、特に横綱の寿命が短い事が判る。
51代玉の海が27歳で現役中に夭折したからこの平均年齢なのだろうという人もいるかもしれないが、これは’10年に82歳でなくなった初代若乃花や70代で亡くなった大鵬、輪島も含んでの平均年齢なのだ。
それより重視するべきなのは、千代の富士や北の湖と言った昭和の大横綱たちが惜しまれつつ60代で亡くなっている事である。
明治から平成にかけて鬼籍に入った力士の平均年齢は58歳、これでも伸びた方と言われているが、力士の寿命が伸びぬ理由はどこにあるのだろうか。
真綿で首を絞められるようなプレッシャーと戦う横綱
力士が短命にならざるを得ない第一の理由は生活習慣や厳しい稽古にあるといっても過言ではない。
空きっ腹の朝稽古の後、食べて寝て、その後にまた稽古、体重を急激に増やすので、睡眠時無呼吸症候群にもなりやすい。
厳しい稽古が待っているので、高血圧、糖尿病、心臓、腎臓病のリスクが付きまとう。
横綱や大関になると、勝つ事を義務付けられた世界で生きている。
稀勢の里を育てた鳴戸親方(元横綱・隆の里)は『真綿で首を絞められる苦しみ』とそのプレッシャーを表現していたが、勝負に真摯である力士ほど、受けるプレッシャーは大きい。
またライバルとなる横綱、大関の存在も力士にとって重要な要素となる。
現在70歳になる元横綱・三重ノ海は、波乱万丈の末、31歳5か月横綱に昇進したが、その時の横綱は輪島、北の湖、2代目若乃花。大関に貴ノ花、旭国と強敵揃い、三重ノ海は古傷や病、プレッシャーに晒され8場所で引退せざるを得なくなった。
また引退後、親方になってからでも現役時代と同じ様な食生活を続けてしまう力士も多い。
北の富士の様に、引退後短期間で40キロダイエットして、断髪式に白のタキシードで現れる元横綱というのは例外だ。
では70以上の長寿を全うしている元横綱に共通する事は何かあるのだろうか。
長生きしても無傷と言えない力士たち
’19年現在存命の元横綱の最長老は、栃ノ海(80)だ。
’17年に出羽海理事長(元横綱佐田の山)が79で亡くなってから最長老となった。
歴代横綱の最長老は明治中期横綱の初代梅ケ谷の83歳。
この年代の力士の平均年齢から考えると桁外れの長生きだった事が判るが、梅ケ谷は一斗酒の酒豪で、四斗樽を片手で差し上げる無双の怪力で人望が厚く研究熱心という『横綱になるために生まれてきた男』という条件が備わった人ともいえる。
が、長寿を全うしているからといって元横綱が無傷というのでもない。
6場所制が始まった年に引退した横綱・鏡里は、80歳まで生き、不動産経営にも乗り出したが、60歳になる前に脳梗塞で倒れている。
栃ノ海も、現役時代は椎間板ヘルニアに悩まされている上、他の還暦に届かない元横綱も体に何等かの時限爆弾をかかえている。
相撲力士は、格闘技と並び、引退後の健康状態の保障がされないともいえるスポーツだ。
横綱だけではない、期待の若手なり、新三役と言われていても、いつ何が襲ってくるか判らない。
’90年代、貴乃花や、今は亡き貴ノ浪に喰らいついていった剣晃は、30歳の新三役で血液中の赤血球、白血球、血小板が劇的に減少する汎血球減少になり現役中に帰らぬ人になってしまった。
体を張って勝負する世界に生きる上、いつ引退を余儀なくされるか判らないからこそ、人生の『保険』の様なものが必要なのではないだろうか。