オヤジになって気がついた、自分の父親をあらためて尊敬するところ

  • 2018/04/08
  • ライフスタイル・娯楽
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  • アントニオ犬助
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うーん、「オトナ」だったところかな?

うーん、「オトナ」だったところかな

「オヤジたちが俺らの歳のころって、いったい何をしていたのかな?」
「何か威厳があったよね」とか「収入も、俺らより多かったはず」とか……以前の同窓会では、こんな話題でひとしきり盛り上がりました。

「自身の父親を越えるべき壁とするならば、まだまだ越えられていない」犬助は、このように感じているですが、友人たちも同じ思いだったようです。

威厳とか、収入が多いとか。
犬助の年ごろの父親は、現在の犬助よりも一言であらわすならば「オトナ」だったということになるでしょう。そこが、自身の父親を尊敬できる点。
威厳や収入ばかりか犬助の場合、身長ですら父親を抜くこともできずに、人生を終えそうな雰囲気になっています。

 

なぜ、父親は自信に満ちていたのか?

父親が今の犬助より、ずっとオトナだったのはなぜなのか?
それは、自信に満ちていたからではないか?と考えます。
父親が主に活躍していたのは、高度成長〜バブル期。働いていさえすれば収入は右肩上がりという時代ですから、自信を失うこともありませんし、威厳を保っていることができたのです。まあ、会社では色々と苦労していたとは思うのですが。

現・オヤジ=犬助の世代はどうでしょうか?
日本の景気が良かったのは、子どものころに限った話。社会に出てからずっと「失われた○年」とかいわれる不景気真っ只中。薄給のまま収入が上がる期待も持てずに、労働を続けている。それどころか職場が、明日どうなるかすら不透明。自信の持ちようがありません。
だから威厳も持ちようがないですし、オトナになりようがないのです。

それだけに、犬助が父親の世代に抱いていたような尊敬の念を、犬助の子どもたちの世代が抱いているとは到底思えないのです。

 

父親は覚悟を決めて、オトナになったのだ

父親は覚悟を決めて、オトナになったのだ

父親が今の犬助より、ずっとオトナだった理由は自信に満ちていただけではありません。
加えて「オトナになると覚悟したから」ではないか?とも考えます。

父親の父親、つまり犬助の祖父の世代はバリバリの戦中派。
若者がカンタンに命を落としていた世代で、死が身近にあった世代です。
それだけ、お国や故郷に残した家族のために命をかけたという人が多かったということ。覚悟を決めて、オトナにならざるを得なかったということです。

そんな世代をロールモデルにして生きていたのが、父親の世代。ですから、学校を卒業するとか、結婚するとか、子どもができるとか、そんな切っ掛けで、オトナになる覚悟をしたのではないか?と考えるのです。

一方で犬助の世代は幸せなことに、死がそれほど身近ではありません。
ですから、オトナになる覚悟を決める必要がない……ダラダラと過ごしていた結果、オトナになりきれずに今に至ってしまっているのではないでしょうか?

 

で、子どもから尊敬される必要はあるの?

子どもから尊敬される必要はあるの

犬助がオヤジになって気がついた、自分の父親をあらためて尊敬するところというのは「自信に満ちていたところ」と「オトナだったところ」ということになります。
そして、子どもに犬助が尊敬されているか?というと、はなはだ疑問なのです。

自身が尊敬されない存在となっている。
これは悲しむべきことではないか?とは思うのです。だからといって、特にあせったりすべきことだとも思いません。
むしろ、イタズラに自信に満ちたり、オトナになったりすることは、避けようとしています。なぜなら犬助は、子どもに尊敬されること=生きる目的とはしていないから。
自身が楽しく生きること=生きる目的と設定しているからです。

そして、楽しく生きている親の姿を見せることが、子どもに悪い影響を与えるはずもないと考えています。なぜなら「楽しく生きる」には工夫が必要だし、エネルギーが必要だから。そして、漫然と日々を過ごしていても、楽しく生きることはできないということは、子どもにも伝わっているはずだから。
これって、尊敬される父親になるよりも大切なことだと思うんですけれど、どうでしょうか?

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アントニオ犬助
アントニオ犬助
みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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