男はクソであることの再認識から始めよう
- 2017/03/12
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アマゾンに生息する、ある鳥の話です
ツリスドリ、漢字で書くと「吊り巣鳥」。
アマゾンの流域に生息する体長30cm前後の、黒をメインカラーに、黄色をワンポイントに持つ鳥なのですが、彼らはその名の通り、木にぶら下げたようなヘチマのような形の巣を造ることで知られています。
ヤシの繊維で編まれたツリスドリの巣は非常に凝ったもので、造りあげるのに3週間はかかるという大変な労作。
それをメスが1羽だけでやり遂げるというから、素晴らしい。
ツリスドリの巣に向いた環境はそうあるものではありませんから、自ずと巣は密集して造られる。
一本の高さ30mほどの木に、2、30個のヘチマのような巣がぶら下がっている様子は、実に壮観なのです。
巣とメスをめぐって大喧嘩の挙句
メスが巣を作り上げた頃にやってくるのがオス。
メスが作り上げた巣は密集していますから、大勢のオスがコロニーとなっている樹の周りで、メスの気をひこうと必死に声を上げる、ケンカをする。
で、めでたくカップルが出来上がり、卵が産まれ、ヒナとなり、子育ての時期へと移っていく。
ヒナ鳥にせっせとエサを運ぶのはメスの役目。
その間、オスは何をしているかというと、別のコロニーがあるところへ移動して、また交尾を目論んで……。
オスは一体どこへ行ったの?
オオハシ、文字通り「大」きなクチ「バシ」を持っている鳥で、体長は50cmという大型の鳥。
こいつらがツリスドリの天敵で、卵や羽化したばかりのヒナを狙うという悪いヤツなんです。
卵を狙いにやってくることは、ちょうどコロニーの周りには交尾を済ませていないオスがゴロゴロしていますから、そいつらが集団で撃退するから、まだいいのです。
しかしヒナが狙われるような時期になると、メスはエサを探して留守がちになりますし、オスは他のメスのところへ種付けに行っていますから、巣の周りはノーガード。
オオハシに狙われて、食べられてしまうヒナも多いというのです。
オスは種付けしか頭にないもの
まあ、わかりやすいエピソードですねえ。
メスの気をひくまでは必死になる、いったん種付けを終えたら新しい種付け先を見つけに、別のメスのところへと行ってしまう。
その間に、自分の子どもが襲われようが何されようが、何とも思わない。
今回はツリスドリの例をあげましたが、総じて自然界のオスは自分勝手でクソなもの。
自分の遺伝子を残すことしか頭にない、もっというと交尾しか頭にないのです。
オスの本質はクソだから、どう身を振るのか?
総じてオスはクソである、こんな話を聞いて「動物のオス? 人間のオスも大概クソでしょ」という方も多いでしょう。
ならば、クソだからどうするのか? というところにオヤジの真価は問われるはず。
例えば、昔の日本人が、自分たちが臆病であることを知っていたから、それを克服するために、武士道なるものを作り上げたように。
昔の西洋人が、自分たちが道徳的に逸脱する傾向にあることを知っていたから、過度に宗教に依存したように。
人間の本質がクソではないのか?
自分たちオスの本質がクソであると気付いてからが人間の価値、そこをどう律するかを考えるのが大切ではないかと感じるのです。
そして、それをどうやっても律することができないと思った時にどのような行動を取るかで、また人間の価値を問われるのではないかと感じます。
ある人はオスの本質がクソである、いやいや、人間の本質がクソであると気づき、落語にその救いを見出したのです。
この話は立川談志さんの名言「落語とは業の肯定である」へとつながっていきます。