2018年の大河ドラマ主人公・西郷隆盛って何した人だっけ?

  • 2018/01/07
  • ライフスタイル・娯楽
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  • 八神千鈴
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2018年の大河ドラマは幕末の英雄が主人公

2018年の大河ドラマは幕末の英雄が主人公

2016年は「真田丸」、2017年は「おんな城主 直虎」と、戦国ものが続いたNHK大河ドラマですが、2018年は西郷隆盛が主人公の「西郷どん(せごどん)」で、2015年の「花燃ゆ」以来の幕末ものとなります。
隆盛を演じるのはモデル経験もあるスタイル抜群の鈴木亮平さん。役ごとに肉体改造を行う鈴木さんがどんな隆盛をつくり出すのか楽しみです。隆盛の親友にして明治維新三傑のひとり・大久保利通役には瑛太さん、隆盛の妻・糸役には黒木華さんと、周辺の重要人物には実力派が起用されました。
隆盛は歴史の教科書で必ず取り上げられる、幕末史に欠かせない人物です。しかし、いざ考えてみると何をしたからそんなに有名なのかよくわからない方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、隆盛の生涯を追いながらその功績を見ていきましょう。

 

大ケガを負っても前向きに生きて藩政デビュー

大ケガを負っても前向きに生きて藩政デビュー

隆盛は幕末の文政10(1828)年に薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士の家に生まれました。12歳の頃、友人同士の喧嘩を止めようとして右のひじに大ケガを負ってしまい、刀を満足に扱えなくなってしまいます。
しかし隆盛は、そこで人生を悲観したり投げやりになったりしませんでした。武芸ができなくても学問はできると考えて貪欲に学び、薩摩藩の政庁に藩政への提案書を出すまでに成長したのです。
この提案書が薩摩藩主・島津斉彬の目に留まって、隆盛は下級武士の出身ながら藩政デビューを果たしました。しかし、斉彬は安政5(1858)年に急死。隆盛は自分を見出してくれた斉彬の死にショックを受け、自殺未遂をしてしまいます。
一命は取り留めた隆盛ですが、斉彬と対立していた江戸幕府大老・井伊直弼ににらまれることを恐れた薩摩藩の決定で、奄美大島に流罪となりました。

 

強い意志で倒幕を果たす

強い意志で倒幕を果たす

斉彬には子どもがなかったため、藩主は甥の忠義が継ぎました。そして、斉彬の弟で忠義の実父である久光が藩政の実権を握ります。
隆盛は利通の嘆願で罪を許され藩政に復帰しましたが、斉彬を尊敬しすぎるあまり久光と対立し、久光が京都へ出張する際の命令を破って今度は沖永良部島に流罪となります。このときも利通が嘆願し、元治元(1864)年に隆盛は薩摩藩への帰還を許されました。
この頃、長州藩(現・山口県)が対立する幕府を相手に禁門の変を起こし、これを懲罰するために幕府が第一次長州攻めを開始しました。しかし隆盛が長州藩を説得したおかげで戦闘は起きずに終結したのです。
隆盛はこの交渉スキルで注目を集め、幕臣の勝海舟や土佐藩(現・高知県)出身の坂本龍馬らと知り合いました。交流を深める中で身分制度のない新政府の構想を知り、新時代を築くには身分制度の元締めである幕府を倒すべきと確信します。
倒幕には藩同士の協力が必要です。そこで隆盛は龍馬の仲介を得て、禁門の変で対立した長州藩との和解を果たし、慶応2(1866)年に薩長同盟を成立させます。
15代将軍・徳川慶喜は薩長同盟と正面からぶつかるのを避けるために大政奉還をして幕府存続を図りますが、隆盛は幕府を完全に廃止するため王政復古の大号令を取り付け、ついに倒幕を果たしたのです。

 

無駄な戦いを避けるために尽力する

無駄な戦いを避けるために尽力する

ところが幕府の終焉を認めない幕臣たちの勢いに押され、慶喜は挙兵しました。これが幕末の内乱・戊辰戦争です。隆盛は指揮官として才を発揮しましたが、より高い評価を得ているのが江戸城の無血開城です。新政府軍は旧幕府軍の本拠地・江戸城を総攻撃する予定でしたが、隆盛が海舟と会談して江戸城明け渡しを実現しました。これで江戸の町は戦火を逃れたのです。
隆盛は無駄な戦いを避けるために何度も交渉に臨みました。座右の銘は「敬天愛人」。「人として生きる筋道を与えてくれる天を敬い、人を愛し優しくしよう」という意味です。まさに隆盛の生き様そのものといえるでしょう。

この記事の作者

八神千鈴
八神千鈴
編集プロダクション、出版社の編集者を経てフリーライター。現在は歴史系記事をメインに執筆。それ以前はアニメ、コスメ、エンタメ、占いなどのメディアに携わってきました。歴史はわかりづらいと思っている方にもわかりやすく、歴史のおもしろさをお伝えしたいです。
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