コニタン(小西博之)の末期がんからの生還に学ぶ
- 2017/07/15
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コニタンに学ぶ末期がんからの生き方
コニタンと聞いて小西博之が浮かぶ人も少なくなっているかもしれません。
元欽ちゃんファミリーの一員として萩本欽一と一緒にお茶の間を賑やかにしてくれました。
その彼が2005年1月に腎臓がんと診断されたのです。
それもステージ4の末期でした。
がんもなんと20センチもある大きなもので腎臓よりも大きくなっていて、これはもう取り返しはつかないものだと誰もが諦めるものだったのです。
ところがそこから奇跡の回復をして現在57歳、その闘病経歴を講演したりの毎日を過ごしています。
極めて例外的だったのかもしれませんが、その生存力の礎になったものは何なのかなど参考にしたいものです。
コニタンのがんとの闘い
・がん発見約3ヶ月前
美味しかったビールの味がしなくなった、食欲が湧かない、これは疲れが出ているのか、体重も減っていたがダイエットの成果が出ているくらいに捉えていたのです。
ところがやがて血尿が出たところで重篤な病気があると認識し、病院で検査を受けたところ見つかったのです。
その大きさに医師も目を疑うばかりで措置を施そうと言う感覚にもなれなかったようだとさえ言われています。
がんの進行具合を尋ねても、既に周辺に転移しているのは間違いない、余命は3ヶ月と言われていました。
だがそれだけでなくはっきりと「いつ死んでもしょうがない」とさえ言われたのです。
腹を打撲でもしたら即、内臓破裂で死ぬ危険性があると警告もされて、すっかり絶望しきっていました。
・1ヶ月後
抗がん剤で少しでもがんを小さくしてから、リンパから取り除く大手術を受けました。
除骨を2本も切り取らないと摘出出来ないほどのがんだったのです。
・現在
手術から定期検査を受けているが10年以上も経過して再発も確認されておらず、一般には完治したとされています。
コニタンの持っていた心がけ
がんに負けるな、がんを叩き潰せ、など気合いを入れたがるものですが、それでは気が焦るばかりで改善しない苦しい症状や副作用に絶望的にもなりがちです。
コニタンはそうではなく、もしも完治したら何をしよう、あんな楽しい事が出来たらいいなどと夢を描いていたのです。
身体で起きている事に頭がどう感じるかで身体も反応するようになるのです。
がんだって元は自分で頑張ってきた細胞の一つだったのです。
どこでどうしてグレてしまったのかわかりませんが、きっと心がけ次第で元の良い細胞に立ち直ってくれると思い込むのです。
それにはがんも悪者と決めつけずに優しくいたわるような穏やかな気持ちでいたのです。
・「徹子の部屋」に出演する
黒柳徹子とは「ザ・ベストテン」でしばらく一緒に司会をしていました。
そこで退院したら「徹子の部屋」に出演しようと決めていたのです。
そこでどんな闘病話で盛り上げてどこで黒柳徹子を笑わせようかとか、そんな事を一生懸命に考えていたのです。
そして2005年7月に念願通り「徹子の部屋」への出演も出来たのです。