家族を弔うお金もない・支え続けるミャンマーの団体と俳優の存在とは

  • 2019/02/21
  • ビジネス
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  • 沖倉 毅
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日本では、病院など自宅以外で故人が亡くなった場合は、故人を長年暮らした家に一旦帰してから斎場に運ぶという『お見送り』の習慣がまだある。

仏教徒であれば全て日本の様に、故人を手厚く弔うのかと思えば大間違い。
日本の弔いの作法は、仏教でも大乗仏教に則ったものだ。

仏教徒が9割を占めるが国民の貧困が進む小乗仏教の国・ミャンマーでは弔いに対する考えが違う。
それはどういう事なのか、また近年、ミャンマーに起きている葬いのムーヴメントとは。

 

遺体を森に捨てる人たち

遺体を森に捨てる人たち
ミャンマーは、上座仏教(小乗仏教)の信者が9割を占める。
この国の信者は、葬儀への関わりは日本に比べて薄く、お墓に対する拘り、しがらみも日本に比べると少ない。

10年程前までミャンマーに駐在していた知り合いの商社マンに聞いた所、現地では15年程前までは死者を弔う事すら穢れと考える遺族も多かったという。

その為、もしも身内が亡くなった場合、故人の遺体を自家用車に乗せ、火葬場の斎場に運び、火葬を済ませる事になる。

病院で亡くなったのであれば、病院から火葬場に遺体を運ぶ事になる。
日本の様に、遺体を家に持ち帰えれば近所から猛反対に遭うというのだ。

この様な概念の為、霊柩車の運転は穢れとされ嫌がられる事も多かった。
そんな中、’00年から深刻化しはじめたのが、火葬費用のインフレだ。
当時はまだ軍事政権下、身内が亡くなったとしても、火葬する事もままならず、故人の遺体を畑や森に埋める遺族も居た。

そんな中、立ち上がった一人の俳優が居た。

 

無償で葬儀を行う国民的俳優

ヤンゴン郊外に、Free Funeral Service Society(FFSS)の事務所がある。
国民的俳優チョウ・トウ氏がトップとなり、500人のボランティアを抱え、貧しさから家族の葬儀を諦める人々を無償で支え続ける団体だ。

チョウ・トウ氏は、’59年生まれ。
ミャンマー・アカデミー賞を2度受賞し、’80年~’90年代まで、200本近く商業映画に出演してきた。

若い頃はジェット・リーと韓流スターを合わせた様な甘いマスクの二枚目だったが、現在はモーガン・フリーマンと、ローレンス・フィッシュバーンを合わせた様な精悍な顔立ちになっている。

そんな彼が軍政下で、ずっと貫いてきたのは『軍のプロパガンダ映画には出演しない』という事だった。
甘いマスクと裏腹な強気な姿勢に人々は『ミャンマーのジェームス・ディーン、マーロン・ブランド』と呼ぶ事もあった。

映画に出演しながらも世の中の理不尽さに常に疑問を抱き続けてきたチョウ・トウ氏。
20年前、ある高僧との出逢いが今のキャリアを決定づける事になる。

『俳優は他人を演じる仕事。本当の貴方は何を大事にして生きているのか。』
自分は社会に貢献できているのか、自省したという。

軍政下で貧しい人々は、家族の葬儀代すら捻出する事も出来ない。
’00年から仕事の合間に遺族の代わりに車を出して遺体を斎条を運び始めた。
小乗仏教しかも軍政下で、著名人自らこの様な行動に出るのは、驚きの目で見られた。

特に軍政からは『反政府活動』とみなされ、映画製作さえも禁じられた事もあった。
チョウ・トウ氏の活動の天気となったのは何だろうか。

 

民政に移管した事が普及のきっかけに

転機は民政に移管した、’11年。
携帯電話が国内に普及し、チョウ・トウ氏の活動が国内にSNSから広がり、ボランティアの輪が広がった。

葬儀を手伝った遺族からは『貴方に巡り合わなかったら、遺体をどこかに埋めていたかもしれない』と感謝された事もあった。

FFSSの事務所には、毎日の様に、葬儀の依頼が来て、白のロゴ入りTシャツに紺のズボンのスタッフが棺桶を揃え、遺体を清める。

経費は月5000チャット(360万)になるというが、寄付金で賄い、これまで18万件もの葬儀を手掛けてきた。
今では日本で滅多にみなくなった宮型霊柩車もあり、霊柩車も日本から中古で購入したものもある。

大乗仏教の普及した国に比べ弔いの概念が薄いミャンマーで、故人を大事にしようという心が芽生えているとすれば、チョウ・トウ氏や彼に賛同した人々のお陰でもある。

葬儀を引き受ける過程で、チョウ・トウ氏は故人は早期に治療を受けていれば、救われていたのではという考えが浮かぶ様になった。
’17年から救急医療のボランティアをはじめ、無償クリニックの運営を手掛けている。

軍政が続いたミャンマーでは、’16年、アウン・サン・スーチー氏率いる国民民主連盟が政権に就いた。
しかし経済格差がまだ国内では埋まらないのが現状だ。

日本では葬儀やお墓に高額の費用が掛かるが、世界を見渡してみれば、この様に葬儀も出せない人が国民の大半を占める例もある。
必要以上に葬儀やお墓に費用をかける事が本当に故人の為になるのだろうか、そうした事も考えてみたい。

この記事の作者

沖倉 毅
沖倉 毅
ビジネスと国際関連をメインに執筆しています沖倉です。 転職経験と語学力を生かし、語学教師とフリーライターをしています。 趣味は定期的に記録会に出る水泳、3000本以上お蔵入り字幕なしも観た映画、ガラクタも集める時計、万年筆、車、ガーデニング、筋トレです。 どうすれば永遠の男前になれるかをテーマに、取材は匿名を条件に記事執筆に勤しみます。
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