韓国と朝鮮のトップが歩み寄る雰囲気があるが朝鮮戦争ってどうして始まったの?
- 2018/10/05
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南北分断で動き出した運命
1945年8月15日、大日本帝国のポツダム宣言受諾、無条件降伏によって終結した第二次世界大戦。この日は、朝鮮半島が日本の統治から戦勝国の統治へと移行する節目の日になりました。
日本の朝鮮総督府が役目を終え、かつての大韓帝国の形に戻ったというわけではなく、占領軍であるアメリカ軍が南側を、ソ連軍が北側を押さえるという東西ドイツのような様相になったことは周知のとおりです。
そして、南側に成立したのが「大韓民国」であり、北側には「朝鮮民主主義人民共和国」が建国されています。つまり、極東地域において東側と西側が直接対峙する場所となったのが、朝鮮半島であり北緯38度線です。
しかし、同じ東西対立の最前線であるドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の例では、ドイツ戦争のような戦いは起きていません。なぜ、朝鮮戦争は始まったのでしょうか?ドイツの場合は、朝鮮半島とは異なり、両国に統一戦争をする理由や動機がなかったということになります。
実は、朝鮮半島においても分断国家を作ることが決まっていたわけではなく、統一した独立国として生まれ変わる可能性もあったのです。ところが、肝心の朝鮮内部での争いが表面化するなど、平和裏に統一国家が出現する状況ではなくなった部分が大きいとされています。
結局、事態の収拾ができないまま、東側の北朝鮮と西側の韓国が1948年に相次いで成立することになったのです。
ソ連の影響下にある北朝鮮は、金日成主席(初代首相)が率いる社会主義国家として建国され、南の大韓民国とともに、双方が全土の主権国家であることを主張する状態となっています。お互いが自分の側の論理による統一を目指すことになったわけです。
そして、北朝鮮にとっては、南を実効支配するアメリカの傀儡政府を倒し、赤化統一することが日程に上ったといえます。
1950年6月25日それは始まった
日本国内で視聴可能な朝鮮戦争に関するドラマとしては、韓国で制作された「ロードナンバーワン」が有名でしょうか。あくまでも視点を固定化したドラマであるため、史実の記録映画などとは異なりますが、朝鮮戦争が両軍ともに総力戦であったことを確認する意味での見所はあります。
1950年6月25日、38度線を越えて南側に雪崩れ込んだ北朝鮮は、満足な迎撃体制をとれていない韓国側を圧倒して釜山にまで追い込みます。しかし、国連軍(ほぼアメリカ軍)の反抗作戦にあい後退、今度は国連軍側が平壌に攻め込む形に。
ここまでの全面戦争となり、中国国境地帯での戦闘を迎えるにあたり、中華人民共和国は志願による義勇軍という形式をとって人民解放軍を投入。さすがに「中国軍」としてアメリカ軍・国連軍と戦うわけにはいかないという事情もあったでしょう。
こうして、お互いの首都をとったりとられたりという泥沼の戦いが続き、休戦協定を結ぶ1953年7月27日まで3年に及ぶ戦争となったのです。最近、語られることが多くなりましたが、この休戦協定には、当事国である韓国が参加していません。
当時の李承晩大統領は、統一を目指して徹底抗戦という構えであり、韓国側の署名が実現しなかったといわれています。なんとも奇妙な話です。
現在、大韓民国の大統領である文在寅さんは、親北派とも呼ばれており、北朝鮮との融和に全速力で走っているともいえます。また、アメリカのトランプ大統領を含めて、朝鮮戦争の終結という話も出ています。
そこだけ見れば、そんなに融和するなら戦争しなければよかったのに! という見方があるかもしれません。しかし、当時は東西冷戦時代であり、東側は赤化、西側は防共という時代背景でもありました。
そんな中に登場したのが南北両国であり、朝鮮戦争が勃発したのは、不運な時代だったからだといえなくもありません。ただし、戦争を引き起こすのが人間であることは忘れてはならないでしょう。