一人で気楽だからリモートワーク、はやめたほうがいい
- 2019/01/22
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10年以上のリモートワーク経験を振り返って
最近、リモートワークによって精神が病んでしまう人の存在が話題になっていた。
毎日オフィス通いのサラリーマンや自営業の方からすれば「いったい何がどうなっているんだ」と雲をつかむような話かもしれないが、都合10年以上のリモートワークを経験した自分にとって、この手の話はまったくの人ごとではない。
そもそもリモートワークとは、正規オフィス以外の働く場所で、正規の仕事をこなす勤務形態であり、そこにもっともらしい名前がついたのはここ最近のことだ。
「いいよなあ、通勤もなければ朝礼もなし。人付き合いもなければ、飲みニケーションもなしだろ?まるで天国じゃねえかよ」
人は簡単にそうおっしゃるかもしれないが、リモートワークの導入が本格化してくるこれからは、リモートワークのせいで「り」の字も聞きたくないという病んだ働き人が増えてくることもあり得るのだ。
リモートワーク族の最大の悩みとは
そもそもリモートワークはさまざまな呼び名の総称であり、在宅勤務とかテレワークとかクラウドソーシングとか、そのワークスタイルはかなり幅広い。
かくいう私の場合は「在籍している社にデスクを持たず、同じ仕事を同じだけの報酬で自宅ですることを許された」立場だった。
もちろん会社にも共有の「リモート島専用」デスクはあって、最後の仕上げやちょっとした打ち合わせ、会議の結果等はそこですり合わせることになっていた。
今思えば、自由にやらせてもらってなお社員と同等の報酬をいただけていたのだから、総じて幸せなリモート期間だった気がする。
しかしその瞬間、瞬間では「違和感」がなかったわけではない。
たとえば、パッション(情熱)の部分。
プロジェクトに力を入れて取り組んでいる生の雰囲気まではリモート組には伝わらず、ちょっと引いた目線で接してしまうこと、またそれがオフィス組に伝わって「不真面目」と誤解されること。
たとえば、進行の部分。
「○○日までに○○くらいのペースでよろしく」と言われて始めたのに、1週間するとオフィスでは「特急作業でないと間に合わない」ような雰囲気を出されてしまった…とか。
つまり、隣にいればひとこと話せば済む話題がリモート族には1週間も10日も放っておかれる事態に陥ると「オレは果たして会社の役に立っているのか。お荷物になってはいないか」という疑心暗鬼さえ生まれてくるのである。
都会がイヤだから田舎暮らしを、の間違い
これは別に例えると、歳をとって都会から田舎へ移住しようという人の話と似ている。
日本に住むということ自体は、変わらない。
ただ暮らしのリズムやご近所関係の遠近が、都会と田舎では丸っきり違うので、都会では立場ある人が田舎では「使えないでくの坊」扱いだったり、都会で明るい人が田舎では「コミュ障レベルの引きこもり」扱いになるケースが散見される。
すべては誤解から生じるのだろうが、そこにお互い「腹を割って話す」という行為が挟まれない限り、不幸は永遠に続く。
リモートワークに一番欠ける要素もまた「コミュニケーション」である。
ならばオフィスでの会話が苦手な人にはもってこいじゃないか、そう考えるのは早計で、リモートこそより密なコネクトを必要とするのは経験上、会社にとっても、リモート族にとっても、お互いを不幸にしない唯一の方策と断言できる。
会うことを省略するのに、コミュこそが一番大切な働き方…
リモートワークって、せっかく空に上がったのに土から離れて生きられなかったラピュタ族に似ている気がするのだが、さていかがだろうか。
リモートワークは決して万能ではない
よくリモートワークは、自主性の高い人、自己管理が行き届いた人向きの働き方だと言われる。
ある意味それは合っている気もするが、同時に危うさも感じる。
自主性に目覚めた人はリモートの限界(権限の低さ)も感じやすく、自己管理が行き届いた人はリモートから戻ってこない(戻れない?)可能性もある。
だれもがリモートに移行できるわけではない。
とくに「社畜」と名高い日本のサラリーマン大多数にとっては、ある種の苦痛さえ感じる働き方かもしれない。
リモート時代が到来したら。
あなたが部下なら今から「一人仕事修行」の覚悟をしておくべきだし、あなたが上司なら今から「一人か二人部下が帰ってこない」覚悟をしておくべきかもしれない。