デモ活動。恥ずかしい時代にも見るべき物はある?!
- 2017/04/17
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デモに感じる気恥ずかしさの原因とは?
遂に逮捕されちゃいましたね、朴槿恵氏。
友人による国政介入に対する朴槿恵氏への抗議は、韓国市民による連日のローソクデモという形になってあらわれ、その様子は日本でも盛んに報道されていました。
その様子を見て、何ともいえない気恥ずかしさを感じていたのは私だけでしょうか。
そういえば日本でも、若者たちによる安倍首相への抗議デモが、少し前まで盛んにおこなわれていましたのですが、これにも韓国のローソクデモを目にした時と同じような気恥ずかしさを感じたのです。
日本のデモ・ブームの顛末とは
日本で盛んにデモが行われていたのは1960年代後半、この事は今でも全共闘運動・大学紛争と呼ばれています。
当時私はまだ生まれていなかったので、その様子はVTRなどで目にするだけなのですが、1968年には東京大学が入試を中止せざるを得なかったといいますから相当なもの。
しかし、そんな勢いがあった全共闘運動・大学紛争も、一部の学生が先鋭化・暴力化。
当局による取締りが強化されたために急速に鈍化し、今では細々と伝統芸能のように続けられているのみとなりました。
学生運動という祭りの後
あの当時の映像などを観ていて伝わってくるのは政権に対する怒りというより、何ともいえない楽しさ・活気です。
とりあえず騒いでやろうという祭りのようなムードです。
確かに一部の人たちは、真剣に当時の社会を変革してやろうと意気込んでいたのでしょう。しかしその意気込みや熱意は暴走し、解放派と革マル派の内ゲバへと発展。100人もの死者を出したといいますから、洒落にならない。
そんな流された血に現実を見せられ我に返り、ちっとも変わらない社会にあきらめてしまい、学生運動というお祭りは終わったのです。
気恥ずかしさを、思い起こすから……
今になって考えると全共闘運動・大学紛争というのは、日本が少年から青年へと移り変わる時の反抗期のようなものだったのではないかと思うのです。
その後、日本は高度成長~バブル期の青・壮年期、失われた20年といわれる熟年期、そして先の見えない老年期へと差し掛かりました。
老人の目線では、反抗期の思い出なんて気恥ずかしいだけ、全共闘運動・大学紛争なんて気恥ずかしいだけの記憶。
そんな自分を思い出すから、ローソクデモなどに何ともいえない気恥ずかしさを感じるのです。
大学紛争の記憶を抹殺する一方で
60年代後半から70年代前半は、いわば日本の黒歴史……永遠に封印してしまいたい、恥ずかしい過去なのです。
しかし、そんな全共闘運動・大学紛争の歴史は抹殺してもいいとして、そんな風に片付けてはいけないものはたくさんあるはず。
例えば、当時はフォークの全盛期、これについて余りにも語られていないことが多すぎる気がするのです。
「あヽ中央線よ空を飛んであの娘の胸に突き刺され 」……友部正人氏「一本道」の一節なのですが、私は恥ずかしながら、この曲をつい最近まで知りませんでした。
何と痛々しく、深い感情が込められた言葉だろうか、そして日本語の歌詞にもこんなものがあったのかとショックを受けたのです。
その一方で、なぜ友部氏の名前にこれまで出会うことがなかったのかと考えてみると、彼らが大きな影響力を持っていた時代に対する気恥ずかしさから、貴重な、当時のフォークシーンからも目を背けていたことに気が付きました。
日本の反抗期、60年代後半からの時代にもっと目を向けなければならないと。
自分が気付いていないだけで、素晴らしいものが身近なところに、もっと落ちているかもしれないと。