初代タイガーマスクと名勝負を繰り広げたダイナマイト・キッド氏の活躍を振り返る!

  • 2018/12/21
  • ライフスタイル・娯楽
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  • 松村 昴
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昭和のプロレス界を彩った1人!

昭和の名プロレスラーで「爆弾小僧」の異名で知られるダイナマイト・キッド氏が、12月5日に亡くなったことがわかりました。ダイナマイト・キッド氏と言えば、初代タイガーマスクと名勝負を繰り広げたことで有名なプロレスラーです。

また、藤波辰爾のライバルとしても活躍し、まさに昭和のプロレス界を彩ったレスラーです。そこで今回は、ダイナマイト・キッド氏の活躍ぶりを振り返っていきたいと思います。

 

カナダのカルガリーで大活躍!

ダイナマイト・キッド氏がプロデビューしたのは、1975年で17歳のときです。1978年には、カナダのカルガリー地区に転戦し、英連邦ミッドヘビー級王座の初代王者に認定されるなど、大活躍をしています。

若くして、ダイナマイト・キッド氏は頭角を現し、注目される存在となったのです。このときには、すでに鍛え抜かれた筋肉やスピーディーな攻撃で、多くの観客を魅了するレスラーとなっていました。

 

藤波辰爾のライバルとして活躍!

ダイナマイト・キッド氏が初来日したのは、1979年の国際プロレスです。当時は国際プロレスと新日本プロレスは提携していたこもあり、新日本プロレスと急接近することになります。そして、1979年8月にはアントニオ猪木や坂口征二、藤波辰爾のカルガリー遠征が行われます。

そして、ダイナマイト・キッド氏は、藤波辰爾が保持していたWWFジュニアヘビー級王座に挑戦するのです。1980年には、ダイナマイト・キッド氏が新日本プロレスに移籍し、藤波辰爾とのライバル関係で新日本プロレスを盛り上げていったのです。

 

初代タイガーマスクと名勝負を繰り広げる!

ダイナマイト・キッド氏は、初代タイガーマスクのライバルとしても活躍します。1981年の初代タイガーマスクのデビュー戦の相手を務めたのだがダイナマイト・キッド氏であり、この時からライバル関係となったのです。

藤波辰爾がヘビー級に転向したことで、より初代タイガーマスクとダイナマイト・キッド氏のライバル関係は注目カードとなっていきます。ちなみに、藤波辰爾が返上したWWFジュニアヘビー級王座は、初代タイガーマスクとダイナマイト・キッド氏の王座決定戦で初代タイガーマスクが引き継いでいます。

初代タイガーマスクとダイナマイト・キッド氏の戦いと言えば、1983年4月の対戦でしょう。ツームストーン・パイルドライバーで初代タイガーマスクに頸椎損傷の重症を負わせ、初代タイガーマスクから唯一シングルで勝利を収めているのです。

 

1991年に引退も、1993年に復帰!

藤波辰爾や初代タイガーマスクとのライバル関係の後に、ダイナマイト・キッド氏は1984年に全日本プロレスに移籍しています。衝撃的な移籍だったわけですが、その後は全日本プロレスやアメリカのWWFを中心に活躍しています。

しかし、1991年に現役引退を発表しました。その2年後の1993年に復帰しており、1996年にはみちのくプロレスで来日し、日本のファンの前に姿を現したのです。だが、すでにその時にはやせ細っていました。

実は、現役時代のステロイドの使用や椎間板損傷の大怪我などの影響で、晩年は車いす生活を余儀なくされていたのです。そして、2018年12月5日に、ダイナマイト・キッド氏は亡くなったのです。

 

ダイナマイト・キッド氏の活躍は永遠に不滅!

今回は、ダイナマイト・キッド氏の活躍を振り返ってみました。ダイナマイト・キッド氏は、藤波辰爾や初代タイガーマスクとライバル関係になり、新日本プロレスを盛り上げた人物の1人です。

「爆弾小僧」の異名の通り、ずば抜けたスピーディーな攻撃スタイルは、多くのプロレス好きを魅了しました。60歳という若さで亡くなられたわけだが、ダイナマイト・キッド氏の活躍は永遠に不滅であり、今後も語り継がれることでしょう。

 

この記事の作者

松村 昴
松村 昴
大学生時代からギャンブルを愛するフリーライター。 競艇・競馬・カジノがとくに大好き。 現在は全国24競艇場を旅しながら記事を執筆中。 趣味はアウトドアでキャンプやサイクリングで気分転換。
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