小説『忍びの国』が映画化されたけど、忍者って実在したの?
- 2017/07/03
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歴史小説界の若き旗手・和田竜原作の『忍びの国』が映画化
映画『のぼうの城』の原作小説で知られる歴史作家・和田竜さんの作品が新たに映画化です。今回の作品は、戦国時代の天正伊賀の乱を描いた『忍びの国』で、7月1日に封切となりました。
天正伊賀の乱は、三大天下人の筆頭・織田信長の軍勢が、伊賀(現在の三重県北西部)を攻めた戦いです。第一次と第二次があり、『忍びの国』で語られる第一次は、信長の息子・信雄(のぶかつ)率いる織田軍が敗れました。しかも勝ったのは強力な戦国武将ではなく、伊賀の住民たちだったのです。
実は、伊賀は忍者の里。住民たちは忍者でした。映画では主人公の忍者・無門(むもん)を嵐の大野智さんが演じます。また、落語家の立川談春さん演じる無門の上司・百地三太夫(ももぢさんだゆう)などの忍者が登場します。
だけど、「忍者なんて実在しないよね?」と思う方もいるかもしれません。確かに忍者に関する記録は少ないです。しかし、忍者は間違いなく実在しました。
歴史の闇を駆けた忍者の実像
忍者というと小説や漫画、ゲームなどでおなじみの存在。巨大な蛙を呼び出したり、自在に姿を消したりと、超人的な忍術を使いこなします。
このような奇想天外な活躍はもちろん、物語を面白くするためのフィクションです。実際の忍者は農民として日常生活を送ることが多く、必要に応じて忍者の任務を行いました。忍者であることを隠すには、当時の一般庶民である農民の姿が最も好都合だったのです。
具体的な忍者の仕事は、諜報・調略・偵察・暗殺などの隠密活動全般です。これらを遂行するための技術が忍術で、音を立てない歩き方、仲間内だけの暗号、毒物や爆発物の調合法などが忍者の里ごとに受け継がれました。
実際の忍者は超人的なヒーローというより、現代のスパイに近かったといえます。記録がほとんど残っていない理由も、極秘の仕事を多くこなしていたからなのです。
では、忍者に極秘の仕事を依頼するクライアントは誰だったのでしょうか。
戦国武将が忍者を雇うのは珍しいことではなかった
それこそが歴史の表舞台で華々しく活躍する戦国武将でした。
忍者を有効活用した戦国武将には、真田昌幸・幸村父子がいます。昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で寺島進さんが演じた、昌幸の家臣・出浦昌相は実在の忍者です。また幸村も忍者を影武者にして戦いました。幸村に仕えたとされる真田十勇士は後世の創作ですが、それぞれにモデルがいるといわれ、それは忍者の猿飛佐助なども同様です。
このほかにも上杉謙信の軒猿(のきざる)、伊達政宗の黒脛巾組(くろはばきぐみ)、北条5代に仕えた風魔(ふうま)一党など、多くの忍者が活躍しました。
ただし忍者は元来、フリーランスです。『忍びの国』の忍者のように、自分たちの里を守るため戦う忍者も多くいました。
『忍びの国』に登場する百地三太夫は、江戸時代の書物に登場する忍者で、実在の忍者・百地丹波と同一人物と考えられています。百地家は現在も三重県に続いており、忍者が実在したなによりの証明になっているのです。