日産 GT-Rってなんでこんなにオヤジの心をくすぐるのか!誕生編
- 2018/10/02
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「GT-R」。それは日産の栄光。それは唯一無二の絶対的な存在。日産ファンでなくとも認めざるをえないほど存在感。GT-Rと聞いて、心穏やかにはいられないオヤジが大多数なのは、子供心にスカイラインGT-Rがとんでもないスポーツセダンであることを刷り込まれているからでしょう。プラモデル小僧だった頃、箱スカGT-RやケンメリGT-Rを造りながら、大人になったらかっこいい車を乗り回したいと夢見ていました。そんな思いをしているオヤジは筆者以外にもきっと多く存在しているハズでは。
GT-Rのエンブレムは、スカイラインから続く伝統あるもので、GTの下に赤いRの文字があしらわれています。栄光のGT-Rのロゴは、ボディのフロントとリヤ、ステアリング、インテリジェントキーなどに誇らしげに付けられているのです。日産 GT-Rってなんでこんなにオヤジの心をくすぐるのか!それは、日産がスカイラインGT-Rから連綿と続けてきた車に対する拘りの歴史にほかありません。
スカイラインGT-R誕生
時代は、昭和の頃。プリンスと日産が合併する前のプリンススカイラインの頃の話になります。プリンスは第2回日本グランプリGTクラス参戦のため、2代目スカイライン(S54)のボディをブッタ切り1500ccのファミリカ―用直4エンジンからグロリア用直6エンジンを無理やり搭載。フロント部分は20cmも延長された。こうして誕生したのがスカイラインGT-A・GT-B。日本グランプリでは、宿敵ポルシェに優勝。スカイラインGTが一周だけポルシェを抜いてトップ走行したことから栄光の伝説が始まったのは間違いありません。
ポルシェ904は、ミッドシップ2シーターの純粋なレーシングマシン。レース専用マシンではなく、公道も走れるナンバー付車両ですが、中身はバリバリのレースカー。搭載エンジンは、DOHC水平対向4気筒2000ccで180PS。絶対王者のポルシェを迎え撃った、スカイラインGTは直列6気筒OHCで125PSの最高出力。ファミリカ―をレーシングマシンに無理やり仕立てたので前後バランスなどかなり悪かったのではないでしょうか、、。スカイラインGTは、優勝こそポルシェ904に譲ったものの2位から6位まで独占しました。
名器S20誕生
その後、プリンスは、1966年に日産と合併。プリンスで開発された3代目スカイライン(C10)は、1968年登場。そして1969年には待望のGT-Rが名器S20を搭載して登場しました。S20は、2000cc直6・DOHCで、160PSの馬力は当時としては圧倒的な最高出力を誇りました。
S20エンジンは、打倒ポルシェを目標に開発されたレース用エンジンを公道で乗りやすくするためににデチューンされたものなのです。ちなみにトヨタ・2000GTの最高出力は、2000cc直6DOHCと同じスペックながら150PS。S20は、まさに国産最強エンジンの最高峰だったのです。オーバーフェンダーとサーフラインが初採用されたモデルでしたね
続く4代目スカイライン(C110)が、1972年に登場。GT-Rが設定されますが排出ガス基準強化のためわずか197台の希少車となりました。3代目スカイラインは、レースで大活躍して破竹の50連勝を達成しましたが、4代目スカイラインGT-Rはレースには参戦しませんでした。4代目スカイラインは、丸型テールランプが採用され現行モデルのGT-Rにもつながるアイデンティとなっています。
GT-Rを封印
日産はターボエンジン搭載モデルの5代目(C210)や、6代目(DR30)鉄仮面の愛称で親しまれたFJエンジン(2000cc直4DOHCターボ)、7代目(R31)は、RB20DET型(2000cc直6・DOHC 210PS)搭載で、スペックではS20を凌駕しています。GT-Rグレードの復活か期待されましたがあえて日産は復活させませんでした。それは、GT-Rは国産最高峰のハイパフーマンスでなくてはならないとの思いからの決断だったのです。
当時のスカイラインは、高性能なスポーツモデルでしたが、ライバルにはトヨタ・スープラやマツダ・RX-7などがあり残念ながら絶対的な王者ではありませんでした。そんなことから、2000cc直4DOHCターボエンジン搭載のFJエンジン搭載車は、RSの称号しか与えられていません。
完全無欠の絶対王者たるスカイラインGT-R登場までは、8代目スカイラインまでまたなくてはいけないのでした。