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さらばビートル・80年の歴史に幕、後継車は4ドアEVか?

  • 2018/09/19
  • ライフスタイル・娯楽
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’38年の生産開始以来、絶大な人気を誇ってきたフォルクスワーゲン・ビートルが、’19年2月に生産終了になる。

現在のビートルは三代目で、数々の限定モデルでファンを惹きつけてきたが、ビートル=タイプ1という思い入れがある人もいるのではないだろうか。

 

フォルクスワーゲン=国民車?

フォルクスワーゲンは、元ダイムラーベンツ(現:メルセデス・ベンツ)の技術者だったフェルディナント・ポルシェが、ナチス総統ヒトラーから、国民車を作れと言われて作ったもの。

’31年に、かつてのダイムラーの同僚や、ボッシュで修業を終えたばかりの息子・フェリーと共に事務所を立ち上げたばかりのポルシェの元に、依頼が来たのが’33年。

原型となったのは、独オートバイメーカー・ツェンダップ(Zundapp )の依頼で作ったツェンダップ・フォルクスアウト。

“Auto fur Jedermann”(全ての人に自動車を)の理念の元に作り、オートバイ業績不振に悩むツェンダップの依頼を’31年に受けたポルシェだったが、試作機を作り、いざ製造という段になり、ツェンダップのオートバイ部門が軌道に乗り、企画倒れになってしまったものだった。

フォルクスワーゲン=国民車?

ヒトラーから依頼を受けたポルシェは事務所の面々と共に、’36年には、今でもお馴染みの流線型ボディ・空冷RR1,000cc試作車を完成。

試験を重ね、’38年に量産化に着手しようとしていたが、第二次世界大戦勃発で、国民向け量産は実現しなかった。
戦時中は、コンポーネンツのみ軍事車両に利用されたビートルは、大戦末期に空襲により工場が破壊されてしまう。

敗戦を迎えたドイツで、ビートルが復活するきっかけを作ったのは、空襲で破壊された工場を管理していた英国人将校・アイヴァン・ハーストだった。

ビートルに将来性を感じたハーストは、手段を尽くして工場を修復。
残っていた労働者の力で『国民車=フォルクスワーゲン』を復活させた。

海外への本格進出となったのは、元オペルの幹部だったハインリヒ・ノルトホフCEOに就いてから。
ビートルの生産は戦後の西ドイツの外貨獲得に大きく貢献した。

ビートルは、1代目~3代目まであるが、ビートル=タイプ1(一代目)というイメージが強い人が多いのではないだろうか。
マニアの中には『FFになって300万円台の限定車ばかり出しているビートルは邪道』という人もいるかもしれない。

世界中に多くのファンが居るタイプ1には、今では考えられない様な条件下での開発、そして商品開発テストが課せられていた。

 

ありえない条件下で作られた初代ビートル

ヒトラーから課せられた国民車の条件は、当時の独自動車工業連盟(RDA)に所属する自動車メーカーから匙をなげられるものだった。

1:頑丈で、長期間修復する必要がなく、維持費が安くすむ事
2:大人4人、もしくは大人2人と子供3人が乗れる車
3:高速道路で移動している時が一番燃費が良くなるようにする事
4:1L/14.3km走るようにする事
5:空冷エンジンを採用
6:流線型ボディの採用
7:国民の平均年間所得が1000マルクなので、1000マルク以下に抑える事

車=富裕層が乗るものという考えは、日本でも’60年代まで根強く残っていた。
日本に大衆車が出回る様になったのは、’60年代後半という事を考えると、ヒトラーの『国民一家に一台合理的でオシャレな車』という考えは、斬新だったのだろう。

この条件を満たしたのがポルシェである。

ありえない条件下で作られた初代ビートル

独国内では、箱型の車が多かった’30年代に、プレス鋼板による耐久性・安全性を両立させたボディは画期的だった。
ボディデザインは、ポルシェ356の原型を作った事で知られる、エルヴィン・コメンダ。

外見やエンジンの性能に甘えず、ポルシェは、車が実用に耐えうるかどうか徹底的に走行試験を行っていた。

 ありえない条件下で作られた初代ビートル

フォルクスワーゲン実用走行試験(VW30計画)は、車体本体価格3万台をかけたと言われる程で、現在過去未来、通常のテストにこれだけの費用を捻出する所はない。

走行テストには、ナチスSS隊員からランダムに200人選んだという。
テストドライバーを選ばなかった理由は、一般人に車を売るのだから、素人が運転して起こりうる事故、ミス、すべてを記録しておかなくてはいけないという事だったという。

物事にのめりこみ研究熱心なヒトラーは、ノンポリで政治に関心がないポルシェが『ヒトラーさん』と呼んでも気にしなかったというのだから驚きだ。

そこまで手間暇をかけたタイプ1は、絶大な人気を誇り、惜しまれながら二代目にその座を譲った。
’38年から’03年まで、累計2152万9464台が生産されたが、四輪乗用車では単一モデルの最多量産記録。

それ以降、ビートルはどうなったか。

 

タイプ1の面影がなくなった二代目以降

’03年から製造されたニュービートルは、女性に人気があるモデルだが、RRの初代デザインのコンセプトを無理にFFにしているので、初代のクラッシックな面影がない。

生産拠点は全てメキシコ・プエブラにあるフォルクスワーゲンの工場で、カブリオレの幌部分だけがドイツ産だ。

タイプ1の面影がなくなった二代目以降

’11年からは三代目にあたるザ・ビートルが発売され、日本では、2012年から販売を開始。
2018年1月30日までに約35,000台を販売する人気車種となった。

ビートルでは初めてのアイドリングストップが装備され、パワー、燃費共に優れる完成度の高いモデルになったが、長い歴史に幕を下ろすことになる。

なぜビートルは、これだけ長い歴史をもつ車なのに、生産終了しなければいけなかったのか。

その一つに、初代からの大幅なモデルチェンジが挙げられる。
エンジンの使用やデザインを大幅に変えてしまった事で、合理性とおしゃれを両立させていた既存のユーザーが離れて行ってしまった事。

二代目以降は、BMW、MINI、アウディなどを所有している層が乗り換えた事もあり、客層が大幅に変わった事。

何よりもビートルが消えてしまう理由は、その安全性だろう。
ボディはジェッタ(ゴルフ5)のプラットフォームなのだが、基本的な運転装備がABSやESC、リアトラフィックアラートなど、一昔前のものなので新車とは言い難い。

米国で販売したディーゼルエンジン車に排ガス規制を不正に逃れるソフトウェアを搭載していた事も理由の一つに挙げられる。

フォルクスワーゲンは、ビートルの後継車としてEVを挙げているが、これはまだまだ先になりそうだ。
現行のビートルでいいから欲しいという人は、ディーラーに予約をいれなければいけないだろう。

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