日本男性の「ファッション偏差値」を〇〇に例えると?
- 2017/04/14
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男性ファッションという視点では、日本はファッション後進国なんて言われる事があります。
その原因のひとつとして「ファッションを楽しみながら表現する」という事の必要性を感じていないから、というものがあるのでは?と、街中を見ていると感じます。
「そんなの、若いヤツや暇人のやることだろ」
「毎日の仕事が忙しくてそんな事に構っている時間がないんだよ」
「見た目ばっかり気にするヤツがやればいいんだよ」
そんな声が聞こえてきそうです。いや、実際にそういう声を聞いた事もあります。実感として、そういう男性は少なくないと思っています。それこそが、ファッション後進国と言われるポイントなのですけどね。
では、ファッションってなぜ必要なのでしょう?これはあるものに例えると分かり易いのです。
ファッションを例えるなら
「ファッションはコミュニケーションツールのひとつです」というのは、私も言いますし、その他でも良く言われる事です。
ファッションは主に、視覚を使ったコミュニケーションツールとしてそんな風に表現されるのです。
人は五感の中でも特に視覚を発達させて進化してきたと言われます。「目は口ほどに物を言う」ということわざがありますが、これも視覚情報がかなりの情報量を持っている事を表しています。人は目で見た事から、かなりの量の情報を得ているのです。
それはどれくらいかというと、「言葉にならないような事まで」なんですよね。でも、言葉にならない事を説明するのは難しいものです。服を見せて「ね?」と言ったところで、通じないですからね。ですから、まずは理解できる範囲つまり言葉を使ってファッションの基本的なポイントを客観的に知ろうとするのが、ある程度分かりやすいのです。「言葉」もまた、コミュニケーションツールですしファッションと異なり学校でも習うので、多くの人がある程度のレベルまで使いこなせているという事も、理解には役立つのです。
「言葉」で例えるファッションの偏差値
大人の、しかもオヤジと言われる様な世代の男性はどんな服の選び方をするのでしょう?
彼女や奥さまに選んで貰っていますか?もしくは既に専属のファッションアドバイザーがいて、選んで貰っているでしょうか?
この「選んで貰っている」というのは言葉で例えれば「誰か代わりに喋って貰っている」とか「原稿を用意して貰っている」とか「代筆して貰っている」という風に言えるでしょう。
こういう言葉の使い方って、普通でしょうか?職場の後輩が毎日こんな風にコミュニケーションを取ってきたら
「一人前の大人なら自分の言葉を持て!」
なんて言いたくなりませんか?しかし、ファッションというコミュニケーションツールではこの「誰かに選んで貰う」人はかなりいて、さらにはそれさえもして貰わない人もいます。
「ファッションを自在に使いこなす」という男性、さらに「ある程度は自在に使いこなす」という男性をこれに加えても、残念ながら少数派なのです。
「言葉を自分である程度は選んで使いこなせる」というのは大人の社会人にとって、偏差値にすればこれが平均値の50ですよね。
しかし、ファッションというコミュニケーションツールにおいてはこの偏差値50に満たない男性の割合がかなり多い。というのが、私含め多くの方の実感としてあるのではないでしょうか?
我々のファッションは言葉で例えると英語
英語は字のごとく、英国の言語ですね。男性における洋服の基本と言われるスーツもまた、英国発祥の装いです。つまり、我々日本人が考える男性の装いにおいて、ファッションとは言葉に例えると英語と言ってよいでしょう。
つまり、世界に通用するコミュニケーションツールなのです。スーツの決められた装いに則るという事はつまり、言葉に例えれば正しい発音、文法で英語を使うという事です。
しかし、実際の言葉における英語ほど「ファッションという英語」は難しくありません。学校で教わる事はないものの、既に日本語にあたる和服はほとんど着ることがなく、洋服を日常で着こなしているのですから。
ただ、現状はかなりのローカルルールで着こなしてしまっている、という事なのです。
まずは、基礎としての英語を知る
ですから、まずはファッションの基礎を自ら知り、ある程度は使いこなせる方が良いのです。
「お金出すから、取り敢えず見繕っておいて」
なんていうコミュニケーションツールの使い方は、偏差値としては50に満たないのですね。
ファッションにはそもそも大きな力があります。世の識者が集まってウンウン唸っていつまで経っても変えられない様な世の中でも、ファッションはさらっと変えてしまえる力を持っている事は、これまでの歴史が証明しています。それはまさに、五感の中でも視覚を発達させてきた人間に対する、視覚への表現ツールだからです。
こんな力のあるツールだからこそ、せめて偏差値50くらいにはなっていた方が良いと思いませんか?
そうすれば、毎日がもっと生きやすく、さらには楽しくなっていきます。
言葉というコミュニケーションツールでも、自分の気持ちを伝えるなど、上手く使いこなすことが出来ると、人間関係が円滑になり毎日が生きやすく、楽しくなっていくものですよね。
ファッションはもっと便利で効果的です。自分から声を発する事なく、その日の装いを朝決めて外に出さえすれば、それで1日OKなのですから。前からだけでなく後ろ姿も、声の届きにくい遠くからでも、見えていれば表現は伝わるのです。
これは裏を返せば、服を誰かに着せてもらったり、何の気なしに着てしまっていても、一旦人目に触れれば、自分の意思とは無関係に何かを発信し続けてしまっているという事です。これでは周りに対して自分はどういう印象を与えているかが分かりませんし、相手からの印象が良くない事が分かっても、どこをどう直して良いか見当がつきません。
これがファッションでの偏差値50に満たない状態ですね。