新日本プロレスのチャンピオンが持つ「IWGP」ベルトって何なのか?
- 2019/02/10
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世界中にあるベルトを1本にまとめる「IWGP」
「IWGP」と聞くと、多くの人は「池袋ウエストゲートパーク」をイメージするようですが、私、アントニオ犬助と同年代の男子ならば「インターナショナル・レスリング・グランプリ」。ええ、異論は認めません。
思い返せばアントニオ猪木氏が、世界に乱立するプロレスのベルトを統一するとぶち上げた「IWGP構想」に「きっとまだ見ぬ強豪が猪木と闘うために、世界中から駆けつけるに違いない」と、小学生の犬助は胸を熱くしたものでした。
そして1983年に「第1回IWGP決勝リーグ戦」が華々しく開催されたのです。が、集まった顔ぶれはというと、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、エル・カネックといった豪華ではあるものの、新日本プロレスの常連ばかり。まだ見ぬ強豪外人はどこ?幼い犬助は大いに戸惑ったものでした。大体「決勝」と名乗っていますが、予選をやっていた記憶もありません。
第1回IWGP決勝リーグ戦、衝撃の結末
戸惑いで始まった第1回IWGP決勝リーグ戦は、大きな衝撃で幕を下ろします。
優勝決定戦の「猪木vsホーガン」戦、エプロンサイドにふらふらと登った猪木氏にホーガンがアックスボンバー、リング外に転落した猪木氏は口から舌を出して、失神KO負け。古くからのプロレス好きの記憶に、今だ色濃く残る強烈なシーンです。
そして、ホーガンが真新しいIWGPのベルトを巻くことになったのですが、猪木氏は動かないわ、若手が「社長!」と駆け寄るわ、ホーガンはリング上でオロオロしているわ。「ひょっとして、猪木は死んだのではないか?」とすら、犬助は思ったものでした。
失神はアクシデントだった、話題づくりのための「フリ」だった、もしくは会場まで押しかけた借金取りから逃れるためだった。今だ諸説渦巻く「猪木ベロ出し失神事件」なのですが……その衝撃以来、犬助はプロレスから離れられなくなったのです。
1982年の日本プロレス界、2大事件
そんな波乱含みのスタートとなったIWGPなのですが、何とも不可解なのが「GP」=グランプリの部分。辞書には「大賞」と訳されていますし、何となくゴージャスだからといった理由で名付けたのかと思ったら、当初IWGP構想は「F1グランプリ」の用に世界を転戦するものだったとか。
世界の強豪を呼びつけるのではなく、こちらから出向くという、非常にスケールが大きなものだったのですね。しかし、大風呂敷がたためなくなるのは新日本プロレス、猪木氏の十八番。スケールダウンして常連外人を招いてのリーグ戦になったのは、今となっては苦笑すべきところでしょう。
また、第1回IWGP決勝リーグ戦の結末が上記の通りだったため、初代ヘビー級王者は「1982年、ハルク・ホーガン」となるのが当然だと思うのですが、新日本プロレスのHPでは「1987年、アントニオ猪木」となっています。
これはIWGPがタイトルとなったのが1987年だから。それ以前はタイトルではなく現在の「G1トーナメント」の様に、リーグ戦優勝者に与えられる称号だったからと説明されています。何とも腑に落ちませんが……IWGPを管理する新日本プロレスがそういっているのだから、そうなんでしょう。
そして第1回IWGP決勝リーグ戦と前後して、当時の犬助は気付いていませんでしたが、新日本対全日本の外人引き抜き合戦が、ガチンコで勃発していました。
全日本プロレスのリングに「突然」新日常連外人のスタン・ハンセンが「乱入」、場外でテリー・ファンクにラリアットをぶちかましたのは、先述の猪木ベロ出し失神事件と同様、大きな事件だったものです。
そして、新日が管理するタイトルは8つになった
そんな新日本プロレスの至宝であったはずのIWGPのベルト、ヘビー級、ジュニアヘビー級、タッグ、そして1998年に新設された、ジュニアタッグの4種類があるのは良しとしましょう。
しかし現在、新日本にあるタイトルはIWGPだけではありません。IWGPの冠が付いているものの、立ち居地がよくわからない「IWGPインターコンチネンタル」、「IWGPUSヘビー級」そして「NAVER無差別級」、「NAVER無差別級6人タッグ」何てものまである。全部で、タイトルが8つって、どうなんでしょう。
あれ、全てのプロレスのベルトを統一するために、IWGPって立ち上げたんじゃなかったっけ?何て今さら野暮なことはいいませんが、タイトルの数を減らしてスッキリさせたほうが良いと思うんです。
「ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!」
今さらながら、前田日明氏の名言が思い出されるのです。