スポーツ観戦は自己中心的なほど価値がある
- 2018/08/19
- ライフスタイル・娯楽
- 215view
- スポーツ
- スポーツ
- 性格
- 観戦
- 趣味
スポーツ観戦そのものをどう見るか
人の趣味は人の数ほどあるとまでは言えませんが、千差万別なことは誰もが認識されていることでしょう。
でも中には、自分はこれだけ楽しいのだから誰でも楽しいはずだと思い込んでいるような人の素振りもたまには見受けられます。
それは自分の好きな食べ物を当然のように人に押し付けるような振る舞いも似たようなものでしょう。
スポーツ観戦もその一つです。
今の世の中、ぱっとしたニュースはスポーツ選手の活躍くらいしか無いように感じている人も多くなっているはずです。
せめてスポーツ観戦くらいして選手とともに一喜一憂して俗世の汚れたニュースから身を遠ざけてみることはおすすめです。
それでもやはり「スポーツ観戦などどこが面白いのか、そんな暇など私には無いのだ」と言う人だってたくさんいるようです。
そもそも民放各局が視聴率を上げたいがために、やたらと観戦を煽りまくっている傾向も否定できません。
ただの親善試合なのに「絶対、負けられない試合がここにある」などは笑止千万でもあります。
スポーツ観戦が面白くない理由
スポーツ観戦の楽しさを説いて回るその前に、スポーツ観戦のどこがいけないのか、その主張を探ってみることが大切です。
一口にスポーツと言っても多種多様で、種目によっての好き嫌いもあります。
サッカーが嫌いな人もいえれば野球が嫌いな人もいます。
それぞれに主張するところがあり、いずれもそれなりに納得させられたりするものです。
それでわかるのは、こうも人の感じ方は違うのかということに尽きてしまいます。
どんなスポーツでも観戦には興味が無いと言う人に共通する理由の代表的なものに以下のようなものがあります。
下手としか思えない
「自分ならそこは軽く流し込んで1点取れてるよ」などと不満を感じてしまうのです。
ちょっとでも経験があると感じやすいことではあります。
勝っても負けてもどっちでも良い
プロのリーグ戦などではここで1試合、勝とうが負けようが大した事ではなかったりもします。
そもそも別に自分には何の関係もないのです。
時間を無駄遣いしている
何の魅力も感じない、あるいは割かれた時間相応のメリットが得られないとなれば、それは時間の無駄遣いであるのは正論です。
特にプロ野球などは延々と夜中まで試合をしていたりで、関心の無い家族の人にはだらだら眺めているだけのつまらない夫くらいにしか映っていなかったりです。
スポーツが苦手な自分を認識してしまう
スポーツを見る度にそのスポーツがどれだけ嫌だったか思い出してしまい、自分の不甲斐無さを実感させられるのです。
応援している自分が応援される
苦手なスポーツを見て自分を抑える
このスポーツは全然ダメだったと振り返るのも自分の能力を客観的に評価するのに適しています。
己の力を過信せず、ダメなところはダメだとわきまえてこそ成功への道も近くなるのは仕事でも確かめられるはずです。
負ければ自分を激励してしまう
スポーツ観戦の好きな人は、誰も見ず知らずの他人のプレイを応援している訳ではありません。
他人でありながらそこに映っているのは自分だとも言えているのです。
試合に負ければ、どこがいけなかったのか分析もしてしまいます。
つまらないミスを見かけることがあっても、それも自分でも日常よくやっていることです。
「何だよ~」とか言いながら自分を叱咤激励している面もあるのです。
そんな習慣は自分の仕事などでのミスも取り返す原動力にもなっているかもしれません。
勝てば自分の力を感じてしまう
長いリーグ戦のたった1試合での勝負など、実際それほど順位に影響はありません。
ただ応援した試合で勝ってくれれば、これは自分のおかげだなどと都合良くどこか心の隅に引っ掛けてしまうのが人間なのです。
自分にパワーを感じれば自信にも繋がります。