ノームコアにチャレンジするというリスキーな行動
- 2017/07/20
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リラックスしているのに決まっているファッションとは?
「Tシャツとデニムパンツだけを身に付けた、非常にいい感じの人を街なかで見かけると、前身ブランド物でキメキメにしている自分が、なんだか馬鹿みたいに思えて自己嫌悪におちいる」
先日、こんなツイッターでのつぶやきが、非常に多くの共感を集めていました。
結局は顔やスタイルという、お金をかけても同しようもない所にファッションは帰結するということなのか、それとも近年よく耳にする用になった「ノームコア」に対する共感なのか。
まあ、何ともいえないのですが、確かにたまに、そんなリラックスしているけれどスキがないといったファッションをしている人に出会いますよね。
当たり前を当たり前に=ノームコア、なのか?
ノームコア、普通を表す「normal」という単語と核心とかいった意味の「core」を組み合わせた言葉。hardcoreの対局に位置するような立ち位置の言葉で「究極の普通」と訳されています。
ファッションに詳しい人によるとノームコアがピークを迎えたのが2014年、以来ファッション業界で流れはしっかりと根付いているというのですが、ではノームコアとは何ぞや? と、そんなファッショニスタに聞いてもはっきりした答えは返ってこないもの。
ならば、ベーシックという意味合いで「ユニクロ」や「無印良品」あたりがノームコアなのか? と聞いても明確な答えは返ってきません。
彼によると「当たり前の物を当たり前に着こなすのがノームコア」だそうで、その例としてナイキのスウェットの上下を身にまとった外人さんの写真を見せられて……もうね、よくわからなくなって来たのです。
オヤジと100%相性が悪いファッション
ファッショニスタの間で流行ったものが、一般に降りてくるまでに数年。
と考えると、そろそろノームコアの流れが、我々オヤジ連中の間にも降りてくると考えられるのです。例えばショップで何でもないスウェットの上下を薦められて、いやいやいかにも普段着じゃないか? と思ったとしても「いやいや、この着こなしはノームコアといって……」とか「このシルエットは従来のスウェットとは違って……」とかいわれてしまうと、これを街着として使っても許されるのではないか? という勘違いが生まれてきます。
そんなスウェットの上下をまとったオヤジは間違いなく、リラックスしすぎた家族サービス中のお父さん。ノームコアからも、かっこよさからも遥かにかけ離れてしまっている存在に成り果てかねませんから充分な注意が必要なのです。
ノームコアは一日にしてならず
当然、ノームコアといったリラックスしたファッションでもスキが出ないような人たちは、モデルさんといったごく一部の限られた方々。誰でも、適当な物を身にまとえばノームコアが完成する訳でもなければ、リラックスしすぎた出で立ちの言い訳としてノームコアなる単語が生み出されたわけでもないのです。
シンプルすぎる服ゆえに、来ている当人の真価が問われる。これがノームコアの考え方。
だから、ユニクロとか無印とか、その辺のショップやブランドでくくることはできないのです。
……こんな風に、ノームコアの話を聞いてきて頭に浮かんだのは、第二次世界大戦後の日本の復興に大活躍したという、白洲次郎氏の1枚の写真でした。
白いTシャツと裾を一つ折りしたデニムを身にまとった白洲氏50歳ごろの写真。今さら、白洲氏の活躍について、ここで述べる気はありません。
ただ彼の身長は175cm、体重は65kg。実に均整の取れた体格をしていたということぐらいは、頭に留めておくべきかもしれません。身につける人自体の真価を問われるノームコア。まさに、一日にしてならず、ということですね。