人気復活しているボウリングの発祥の地はどこでしょう?
- 2018/07/05
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諸説あるボウリング発祥の地
ボウリングは、ボールを転がしてピンを倒す本数を競い合うものです。
このようなシンプルな遊びは遠い昔からあったとは想像もしやすいものです。
現在、ボウリングの起源となっていたと思われる遺跡で最も古いものに、エジプトで発見された紀元前5世紀頃の石や木でできたボールとピンがあります。
さらに大理石のゲートのようなものもあって、レーンの役割を果たしていたともされています。
またそれとは別に、ポリネシアの島々で石の標的を石のボールを転がして当てる遊びがあったと言う説もあります。
この頃では遊びと言うよりピンを災いと見立て、それをたくさん倒せれば災いから解放されると言う儀式であったとされています。
このようにボウリングの歴史はあまりに古いために、はっきりした定説にはなっていないのが現状なのでしょう。
近代ボウリングまでの道のり
・ボウリングの語源
ボウリングと言うネーミングは、中世のイギリスで行われていたゲームが起源のようです。
芝生の上に置かれたボールに向かって別のボールを投げ、当てるか最も近くに置ければ勝ちとなるゲームがありました。
これをローンボウルズと呼んでいたのが、ボウリングの語源になったとされているようです。
・規格統一の歴史
ボールを投げてピンを倒すのではなく、ゲームとしてのルールなどを規格化して統一し、広く普及され始めたのは12世紀のドイツからとされています。
宗教家マルティン・ルターによって、当初はピンの数を9本とし、それを菱形に並べたとされています。
これはナインピン・ボウリングと呼ばれ、やがて17世紀からアメリカ移民の間でも広まったのですが、アメリカでは賭博の対象にもされていました。
酒場にボウリング場が備え付けられるようになると、自ずとボウリングが賭けになっていたのです。
そこでアメリカの政府はナインピン・ボウリングを禁止にしたのです。
でもボウリングをしたかったアメリカ人は、それならピンを10本にすれば禁止対象外になるからと10本のボウリングが登場したのです。
ですからヨーロッパでは、ナインピン・ボウリングが禁止になったこともありませんので、現在でもピンが9本のボウリングは存在しているようです。
19世紀末頃からルールも細かく整備され始め、ゲームから次第にスポーツとしての地位を固めるようになります。
日本でのボウリング発祥の地は?
世界的には古代エジプトからの長い歴史のあるボウリングですが、日本についてはごく最近の歴史の中でしか登場していません。
・最も古いボウリング発祥の碑があるのは長崎
長崎には市内にボウリング発祥の地とする石碑が市内に2カ所あるようです。
その場所の違いと意味合いは定かではありませんが、長崎からボウリングの歴史が始まったのは定かであるようです。
江戸時代でも長崎の出島では、外国文化を受け入れていました。
そこで開国間近の頃にナインピンボウリングが入って来ました。
このことは、当時の英字新聞にボウリング場のオープン記事が載っていたことからも明らかになっています。
約140年前にできたこのボウリング場が、日本初のボウリング場とされています。
・横浜、神戸と展開される
その後、横浜の外国人居住区内にあった港の見える丘公園にもボウリング場が誕生しました。
明治になってからは神戸の外国人クラブがボウリング場をオープンさせ全国に広まっていたようです。
横浜や神戸にも、その旨を記された石碑が建立されているのです。
・全国各地への展開
とは言え、本格的に全国各地にボウリング場が誕生し始めたのは戦後になってからです。
それまでは大正時代にデモクラシーの一環として京都など一部の地域では注目されていたくらいのようです。
女子プロ人気による一時のボウリングブームから現在のブーム復活も、その拠点になったのは外国人が居住していた港町だったのです。