“泣きのギター”といえばジミヘンの後継者「ロビン・トロワー」でしょう!
- 2018/12/04
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ローリング・ストーンズやビートルズの前座をしていた時代も
ローリング・ストーンズに「イングランド最高のR&Bバンド」と言わしめた『パラマウンツ』をご存知でしょうか。
パラマウンツは1959年に結成され、ローリング・ストーンズやビートルズの前座、サンディ・ショウやクリス・アンドリューらのバックバンドを務めたことがあります。
そんな実力派バンドのギタリストとしてデビューを飾った『ロビン・トロワー』は、パラマウンツとその後身バンドであるプロコル・ハルムを経て、ソロプロジェクトでは持ち前の“泣きのギター”で数々の名曲を生み出しました。
ロビンのギタープレイはしばしば『ジミ・ヘンドリックスの再来』と評されるように、ジミヘンの影響を色濃く受けた粘り強さが特徴です。
ローリング・ストーンズに認められるも、ヒットせず…
パラマウンツは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーから称賛を受けながらも、商業的なヒットには至らず、1966年に解散しました。
リリースしたシングルは6枚、アルバムは0枚という寂しい結果に終わりましたが、後に結成したプロコル・ハルムで一気に知名度を上げることになります。
プロコル・ハルムで一躍有名に!
パラマウンツが解散したころに、中心メンバーだったゲイリーは、詩人であるキース・リチャードと共に楽曲を制作するようになります。
ゲイリーにキースを紹介したのは、後にザ・クラッシュのアルバム『ロンドン・コーリング』のプロデューサーとなるガイ・スティーヴンスでした。
パラマウンツは1967年7月にリリースしたデビューシングル『青い影』を大ヒットさせるも、早々に内部分裂を起こします。
そこで、ゲイリーから誘いを受けたのがロビン。
ロビンはプロコル・ハルムに加入した後、音楽人としてのキャリアを着々と築いていきました。
そして、ある男と運命的な出会いを果たします。
その男の名は、ジミ・ヘンドリックス。
1970年、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとドイツで共演を果たしたロビンは、瞬く間に彼のギタープレイに魅了され、ジミヘンの死後は彼に捧げる歌を発表したり、ジミヘンが愛用していたフェンダーのストラトキャスターに替えたりと、大きな影響を受けるようになったのです。
ジミヘンに傾倒したことで、プロコル・ハルムにおいても圧倒的な存在感を放つようになり、ロビンのギターリフが目立つ楽曲が増えていきました。
ですが、こうしたロビンの変化によって、他のメンバーとの音楽性が食い違い、1971年に脱退。
脱退後は、ソロプロジェクトでギタリストとして確固たる人気と評価を獲得することになります。
セカンドアルバム『魂のギター』でゴールドディスクを獲得
1973年にソロプロジェクトをスタートしたものの、デビューアルバムは全米チャート106位に終わりました。
ですが、翌年にリリースしたセカンドアルバム『魂のギター』で全米チャート7位に輝き、ゴールドディスクを獲得。
1975年にリリースした『遥かなる大地』では全米5位に輝き、本国イギリスや日本でもその名を轟かせました。
1975年のライブ映像はこちら。
Robin Trower – Full Concert – 03/15/75 – Winterland (OFFICIAL)
時代を超えて愛され続けるサウンド
そして数十年の時を経た2005年、中心メンバーであるロビン、ゲイリー・ブルッカー、クリス・コッピング、ミック・ブラウンリーで再結成を果たしました。
ロビンは参加していませんが、プロコル・ハルムは現在も活動を続けており、ボーカル・ピアノは結成時から変わらずゲイリー・ブルッカーが務めています。
こちらの動画は、2015年にリリースしたアルバム『Something’s About To Change』のタイトルトラックです。
Robin Trower – Something’s About To Change [Official]
おじいちゃんになって、さらに洗練された印象を受けます。
単なるジミヘン・フォロワーでは終わらず、ロビン流に落とし込んでいるからこそ、世界中のギターファンが彼の実力を認め、今も尚愛され続けているのでしょう。