江戸時代における男性のモテの定義は優男とお金だった!?
- 2019/07/15
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時代によってモテる男性の特徴が違う!
時代は移り変わっても、オヤジは女性からモテたいと思うものです。しかし、モテたい気持ちは一緒でも、実はモテる定義は時代によって様々です。時代が違えば価値観が違うため、どんなタイプの男性がモテるのかも変わってくるのでしょう。
それでも、過去の時代のモテ要素を知ることで、現代社会に生きるオヤジのモテにつながる可能性があります。もしかしたら、モテに悩む男性にとってのヒントが隠されているかもしれません。そこで今回は、江戸時代における男性のモテの定義について紹介していきます。
江戸時代のモテる男性は「優男」と「お金」がポイント
江戸時代のモテの定義でポイントになるのが「優男」と「お金」です。江戸時代には、色白の優男がイケメンとして評されており、モテる要素となっていました。この理由は、江戸時代の男性の多くは力仕事であり、日焼けして筋肉隆々の男性が多かったからです。そのため、あまりいない色白な清潔感のある優男がイケメンとされていたのです。
また、お金を持っているのかもポイントとなっています。やはり、お金を持っている男性ほどモテました。これは今の時代でも変わらないかもしれません。貧乏よりもお金持ちの方がモテやすいというのは、いつの時代であっても変わりません。とは言え、お金は必須条件というわけではないので、お金がないからといってモテることを諦める必要はないでしょう。
逆に「男らしさ」がモテることも!
江戸時代の男性は優男がモテたわけですが、実は全く正反対の「男らしさ」を持っている男性もモテたとされています。実際に、江戸時代にモテた職業では、男らしさ満載の職業が上位にランクインしています。
どの時代であっても、女性の好みは1つではないのです。江戸時代では、優男が好きな女性が多かった反面、真逆である男らしさを持っている男性が好きな女性もいたのです。これは現代社会でも同じであり、女性によって好みの男性のタイプは違います。そのため、自分がモテたい相手がどんなタイプの男性が好みなのかがポイントです。
江戸時代のモテる職業とは!
<与力>
江戸時代の男性でモテる職業の1つが与力です。与力は町奉行の下で働く武士であり、現代風に言えば公務員です。武士なのに偉ぶることなく、庶民とも気さくに話すことから人気がありました。
また、経済的にも余裕があり、お金を持っていたのも与力がモテる理由です。与力で優男なら、江戸時代のモテるポイントを兼ね備えており、モテるのは確実でしょう。ちなみに、与力は他の武士から「不浄役人」と呼ばれて蔑まされていました。そんな微妙な立場だったこともあり、庶民は割と与力の味方で人気があったのです。
<力士>
意外かもしれませんが、力士もモテる職業の1つでした。当時、相撲は大人気のスポーツであり、女性からも人気があったのです。力士は大きくて力のある強い男性しかなることができないので、男らしさがあってモテるのも納得です。
ちなみに、力士は経済面でも裕福とされています。当時の相撲は、1場所10日間の興行で年2場所制です。そのため、「一年を 二十日で暮らす いい男」という江戸川柳が有名で、庶民からはたった20日の実働で1年間悠々自適な生活ができる力士は羨ましい存在だったのです。男らしさとお金のモテ要素2つを持っている力士は、女性からとてもモテていたとされています。
<火消し>
江戸時代は火消しも人気のある職業でした。火消しは、今でいう消防士にあたる職業のことです。火消しは、「男の中の男」というポジションであり、女性はもちろん男性からも憧れの存在だったとされています。
その理由は、火消しの存在がとても江戸の町では重要だったからです。当時の家は木造ばかりで、火が燃え拡がりやすくて火事はとても怖いモノでした。そんな火事の際に、命をかけてまで防ごうとする火消しの存在は、尊敬されており人気があったのです。男らしさがある火消しは、女性からモテていたのも頷けます。
実は恋愛の主導権は女性だった江戸の町!
江戸時代の恋愛をイメージすると、時代的に男尊女卑がまかり通っている時代で男性が主導権を握っていると想像しているかもしれません。しかし、実は江戸の町では女性が主導権を握っていたとされています。
これには理由があり、当時の江戸の町は男性が2人に対して女性が1人という割合だったとされているのです。そのため、女性が非常に少ないため、女性が男性を選ぶことができて主導権を握っていたとされています。当時の男性は、女性にモテるために様々な工夫や努力をしていたのです。
ちなみに、なぜ男女比が2:1といういびつな状況になったのかと言えば、参勤交代という制度が関係しています。参勤交代で大名が江戸に出仕することで、武家の男性が江戸に集まってきて男性の割合が増えたのです。また、田舎の農家の次男や三男などが、仕事を求めて江戸の町に流れてくることも多く、さらに男性が増えていったとされています。
江戸時代にはメンズファッション雑誌もあった!?
江戸時代の男性も、モテるためには工夫・努力をしています。実際に、当時にも「当世風俗通」という指南書が販売されています。この指南書は、今でいうメンズファッション誌です。このファッション誌を参考にして、当時の男性はモテるためのファッションを勉強したのです。
服装だけでなく、髷(ヘアスタイル)の指南も行っています。このような雑誌が販売されていたことから、当時の男性もモテるためにオシャレに気を遣っていたことがわかります。いつの時代の男性も、モテるために努力をしているのです。
江戸時代の恋愛ってどんな感じ?
江戸時代の恋愛事情ですが、まず男女の出会いはお祭りや芝居小屋が多かったようです。お祭りや芝居小屋には、周辺地域の男女がたくさん集まってきます。そのため、男女の出会いがあり、お祭りや芝居小屋での出会いから恋愛へと発展することが多かったのです。
ちなみに、同じ村の中で結婚するというケースも多々ありました。しかし、あまり村の中だけで結婚していけば、血が濃くなってしまうという弊害があります。とは言え、交通手段が限られている当時は、なかなか他の村との交流がありません。その結果、祭りや芝居小屋のように各地から人が集まるイベントが出会いとなり、恋愛へと発展していくきっかけとなっていたのです。
性に対しておおらかだった江戸時代!
江戸時代は、性に対してとてもおおらかだった時代です。当時は、デート=性行為であり、頻繫にセックスをしていたのです。そのため、できちゃった婚がとても多かったとされています。
また、当時は夜這い文化も残っています。現代では考えられないかもしれませんが、男性が女性の自宅に夜這いしに行っていたのです。ただ、女性にも拒否権があります。拒否しているのに無理に性行為をすれば強姦で罰せられるようになっています。
江戸時代からモテる要素はあまり変わらないのかも…
江戸時代のモテ要素は、現代とあまり変わらない部分が多い気がします。優男がモテる反面、男らしさもモテ要素となっています。両極端なタイプがモテポイントになっており、女性によってタイプが違うということです。それはモテるタイプが多様化している現代にも言えることではないでしょうか。
また、当時の男性は江戸の町では男女比は1:2でモテるのが大変でした。それを考えれば、現代のオヤジの方がモテるチャンスはあるのではないでしょうか。モテに悩むオヤジも、諦めずにモテるために努力・工夫をしましょう。