話題のサッカー日本代表の森保監督ってどんな人物なの?
- 2018/09/19
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毎回、物議が起こるサッカー日本代表監督
サッカー日本代表監督はワールドカップ直前でドタバタ交代した西野監督の後、次の監督は誰になるのかいろんな議論も交わされたようですが、森保監督に決まりました。
候補としてはいろんな噂もあったようですが、あらゆる条件を天秤にかけて最適な監督として決まったことなのでしょう。
森保氏は西野監督の下で日本代表のコーチをしていたこともあり、円滑に移行も進められることは想像もできます。
ただ、既にオリンピック代表監督でもあり、来たる東京オリンピックで成果を出すことが義務付けられている監督でもあるのです。
次のワールドカップまでは4年ありますが、それでも常に結果を求められ続けるのがトップチームの宿命です。
この2足のわらじを履いた監督はフィリップ・トルシエ以来で、日本人では初めての試みです。
最近、相次いで日本代表監督が問題となる中で、サッカー協会が指名した森保氏とはどのような人物なのか、ここでざっくり理解しておきましょう。
これから評価も批判もその上でするのであれば、落ち着いた見方になるのではないでしょうか。
森保一氏の略歴
まず、名前の読み方を改めて押さえておきます。
「もりやす はじめ」であって、「もり やすかず」などではありません。
実は日本代表選手として呼ばれた時に、知らない人は誰も正しく名前を読んでくれなかったと言うエピソードもあります。
年齢は50歳を迎えたばかりで、まさに油の乗った年齢とも言えます。
・選手としての実績
今でこそ当たり前のボランチの草分け的存在です。
それも守備的ボランチと言う素人にはまるで目立たない存在だったのです。
中盤で危険になる前に危険を察知し、ひたすら相手がキープしているボールを奪ったりパスをカットしたり、あるいは単に相手の攻撃を遅らせたりすることも重視できていました。
このような地味な活躍がディフェンスラインの負担を軽くしていたのです。
サッカーでは点が入ることが少ないため、それが当たり前のように思われがちですが、このような汗かき職人がいてこそ得点を許さない試合ができているのです。
1992年当時、後に日本代表躍進の立役者となったハンス・オフト監督から無名でありながら代表に招集されました。
失礼ながら森保一ほど疑問符が付けられた招集選手は、その後なかなか出ていません。
日本代表ではボランチでドーハの悲劇を経験しました。
いずれはドーハの悲劇経験者が監督の日本代表が、世界を牛耳ることを夢見ているサッカーファンは数多くいるはずなのです。
とりあえずそんな潜在欲求を満たす人選になったのは間違いありません。
・指導者としての実績
今回、日本代表監督になるにあたって、指導者としてはどうなのか、その詳しい実績まではあまり表にはなりにくいものです。
現役を引退した翌2004年シーズンからサンフレッチェ広島の強化部コーチに就任しました。
2005年からは早くもユース世代の日本代表コーチにも抜擢され、2007年にはトップチームのコーチにも昇格しました。
2012年、サンフレッチェ広島の監督に就任すると2015年までの4シーズンで3度のリーグ優勝を果たしました。
その人柄
日本代表監督は前のハリルホジッチ監督もそうですが、それ以前からその人柄が大きく日本代表の戦績に影響したのは否めません。
森保氏で大きく取り上げたいのは、選手とのコミュニケーション能力の高さです。
まず、時と場所を選ばず選手と同じ目線で会話が始まるところです。
いたって自然な空気感のまま話し出すので、すんなりと話を聞くことになります。
そして、その話は自分の考えを伝えることから始まりません。
選手はどう考えているのかを突き詰めて、そこに自分の考えを上乗せしてベストな選択を模索していくのです。
会話の最後は、にっこりスマイルで穏やかに締めます。
こうして監督と選手とが同じイメージを共有するようになるのではないでしょうか。