【クインシー】必聴すべきジャズ・フュージョンまとめ【渡辺貞夫】
- 2019/02/24
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クインシー・ジョーンズ
1950年代からミュージックシーンを牽引し続ける、まさにレジェンド!
1957年に渡ったパリで作曲や音楽理論を学び、ビッグバンドや自身のバンドでも成功を手にしました。
1960年代以降はプロデューサーとしても手腕を発揮。
レスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティー」(1963年)でビルボード1位に輝き、トランペット奏者として有名なマイルス・デイヴィス、アメリカを代表するシンガーであるシンガーフランク・シナトラらをプロデュース経験した経験も。
そして、忘れちゃいけないのがマイケル・ジャクソンとの出会い。
マイケルとは「オフザウォール」でタッグを組み、「スリラー」のプロデュースも手がけました。
≪おすすめの1枚≫
・「私の考えるジャズ」
・「クインテッセンス」
マーカス・ミラー
ジャズ・フュージョン界で知らない人はいないベーシストであり、音楽プロデューサーでもある偉人です。
スラップベーシストとしてのテクニックは世界トップレベル!
そして「ベースだけではない」のも、彼のスゴイところ。
プロデューサー、作曲家、編曲家としても才能を発揮。
キーボード、ドラム、ギター、クラリネットなどもかなりの腕前です。
映画音楽やCMなどでも幅広く活躍しています。
≪おすすめの1枚≫
・「サドゥンリー」
・「ライヴ・アンド・モア」
ジャコ・パストリアス
かつて裏方的存在だったベースという楽器をバンドで1番目立つ花形楽器にさせてしまったのが、この男。
見るもの・聴くものを驚かせる革新的なテクニックで、瞬く間にトップ・スターの仲間入りを果たしました。
パフォーマンスも特徴的で、素早い横歩きはまさにカニ。
カニになったり、興奮してシャウトしたり、センスしか感じられない超絶フレーズを炸裂させたりと、ファンを熱狂させるスキルも相当なものでした。
来日の経験もあり、ウェザー・リポート、ワード・オブ・ビッグ・バンド、ジャコ・パストリアス・バンド、ギル・エヴァンス・オーケストラでの公演を果たしています。
≪おすすめの1枚≫
・「ジャコ・パストリアスの肖像」
・「ヘヴィ・ウェザー」
ジョージ・デューク
この男も、ジャズ・フュージョンを語る上で外せない存在です。
カルフォルニア州サン・ラファエル生まれ、マリン・シティ育ち。
地元の教会でブラック・ミュージックの洗礼を受け、16歳のころには仲間とグループを組んでジャズを演奏していたといいます。
1970年代には、フランク・ザッパ、ビリー・コブハム、キャノンボール・アダレイ、クインシー・ジョーンズのグループに参加して、知る人ぞ知る存在に。
以後、ピアニストとしても、プロデューサーとしても人気を博しましたが、2013年に慢性リンパ性白血病で療養の後、同年8月5日に65歳の若さで帰らぬ人となりました。
≪おすすめの1枚≫
・「ジョージ・デューク」
・「ドリーム・オン」
渡辺 貞夫
父は薩摩琵琶奏者。
自身は1951年に上京を果たし、銀座のクラブなどで演奏を披露し始めます。
1953年にコージー・カルテットに加入し、1956年に穐吉敏子がアメリカに渡ってからはバンド・リーダーとして活躍しました。
コージー・カルテットを解散した後にジョージ川口ビッグ4に加入、1961年にはアルバム「渡辺貞夫」をリリース。
以後、ジャズというジャンルを超えた音作りが評価され、1977年リリースのアルバム「渡辺貞夫リサイタル」では芸術祭大賞を受賞したことも。
≪おすすめの1枚≫
・「渡辺貞夫」
・「MORNING ISLAND」
ジャズ・フュージョンに精通している方から「あの曲(人)を忘れているぞ!」とお叱りを受けそうですが、それもそのはず。
本記事では紹介したくてもしきれない、名曲・偉人が他にもい~っぱい!
あなたも“お宝を発掘する感覚”で、お気に入りの1枚を探してみてはいかがでしょうか。