アイドルなんかじゃない!実力で上り詰めた英バンド「ジャパン」
- 2018/10/29
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初来日で武道館公演を果たすも、本国イギリスではパッとせず…
地域・国の名前が、曲やバンド名に用いられることがしばしばあります。
例えば、故やしきたかじんの代表曲「東京」。
ジャニーズ事務所のロックバンドの名や、沢田研二の曲にも用いられている東京の称「TOKIO」も有名です。
海外では、イングランド出身のプログレバンド「UK」、アメリカのロックバンド「シカゴ」などがあげられます。
そして、遡ること1970~1980年代。
ジャパン(Japan)という名のバンドが、日本国内で独特の存在感を放っていました。
ジャパンはイギリス出身のバンドです。
デビュー当時はアイドル的なグループとして宣伝されていましたが、イギリスの音楽シーンでは鳴かず飛ばず。
ところが日本では、初来日から武道館公演を実現し、日本人アーティストとの関わりも強めていきます。
ビッグ・イン・ジャパンではあるけれど…
Japan – Quiet Life
「ビッグ・イン・ジャパン(日本でしか売れていない洋楽ミュージシャン)」ともいえる成功パターンなので、「たいしたことないじゃん」と鼻で笑うオヤジもいるかもしれませんが、彼らの実力は決して侮れません。
ジャパンのベーシストである「ミック・カーン」は、フレットレス・ベースの使い手としても有名です。
イギリスの音楽サイト「MUSIC RADER」では15位にランクインしています。
1982年にジャパンを解散した後には、バウハウスのピーター・マーフィーとのユニットや、デヴィッド・トーンとテリー・ボジオとの「ポリタウン」で活躍し、日本では布袋寅泰やSUGIZOのアルバムに参加するなど、活動の幅を広げていました。
2001年には、有名プロデューサーである佐久間正英を中心に結成されたロックバンド「The d.e.p」に参加。
ボーカルはビビアン・スー、ギターは一風堂のリーダーである土屋昌巳、ドラムは新堂本兄弟の堂本ブラザーズバンドに参加していた屋敷豪太という、錚々たるメンツです。
業界人からの信頼も厚かったミックですが、2011年に52歳の若さで死去し、多くの音楽ファンが悲しみに暮れました。
他のメンバーもスゴイんです
ボーカルのデヴィッド・シルヴィアンは、坂本龍一、高木正勝、矢野顕子らとのコラボレーション経験があり、人気アニメ「MONSTER」ではエンディング・テーマの作詞と歌唱を担当しました。
キーボードのリチャード・バルビエリ、ドラムのスティーヴ・ジャンセンも、一風堂など様々なミュージシャンとのコラボを果たしています。
進化を楽しめるバンド
Japan – I Second That Emotion
バンドのサウンドとしては、初期はグラムロック・ファンクの要素がありましたが、1979年ごろからは耽美的なシンセポップへと変化していきます。
ただ、ポップとはいっても決して明るい曲ではありません。
いうなれば、影のある個性的な世界観。
比較対象が適切ではないかもしれませんが「中島みゆきより暗い」という人もいます。
ようやく本国イギリスでの評価が高まってきたのも、確固たる世界観を確立したころのことでした。
オススメのアルバムは集大成ともいえる「Tin Drum」
Tin Drumは、1981年にリリースされたラストアルバムです。
ダウンタウンの浜田雅功の長男であり、実力派ベーシストとしても有名なハマ・オカモトは、同アルバムの「Visions Of China」にヤラれたとのこと。
アイドルからの出発だったけど
日本ではデビュー前からファンクラブが結成されていたほどで、顔から入るファンが多かったようです。
長年の活動を通してアイドルから見事に脱却し、ミュージシャンとしての地位をつかみ取った―――その努力は凄まじいものだったに違いありません。
日本も今の時代、アイドル化しているバンドが少なくありませんが、曲を聴いてみると「おお!?」となることがしばしばあります。
いい音楽に巡り会いたいなら、色眼鏡で見ないことが大切なのかもしれませんね。