「ラクな服を選ぶ」のは正解?それとも?
- 2019/09/07
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メガネを買いました。人生初の「黒縁メガネ」というやつです。前から気になり欲しかったものの、何かと先延ばしにしていたのですが、やっと手に入れました。
ただ、妻と息子からの評判は良くなかった…なにせ、今まで顔馴染みの良い、あまり主張しないメガネが多かったので、黒縁だし太いしメガネが随分主張するデザインなので、違和感だらけらしいです。そういうメガネが欲しかったので、まあ良いんですけどね。
何事も、少しでも新しい事をする時には周囲からの違和感やNGの表明があったり、そもそも自分の内側からも否定的な感情が出てくる事があります。でも、自分が信じたら、面白そうだと思ったら、やってみるというのもアリですよね。より深い自分の欲求に応えていく方が、ファッションなどの表現はもっと面白くなると思います。
一方、うわべだけの感覚で選びがちな服で「ラクなもの」というのがあります。最近は比較的よく聞くこのワード。
これまでの決まりを守るためだけの様にある着こなしのスーツや女性であればパンプスの着用など、話題になるものもあります。
そういう事もあってか、最近はビジネスの装いでも「ラクに着られる服」がキーワードとしてアドバイスを求められることも出てきました。そこで今回はこの「ラクな服」で格好良くなれるのか?を考えてみましょう。
ラクな服ってどういうこと?
ラクな服ってどういう事か?少なくとも私がこれまで聞いてきた事をまとめると「キツくない」「苦しくない」「堅苦しくない」「気合いを入れなくていい」「頑張った感が出ない」「面倒臭くない」「指図されたものではない」「考えなくて良い」「ただ着られたら良い」と、そんな感じの服を指している様です。
どうですか?ラクな服を求める時、これらのキーワードのどれかが当てはまりますか?もしくはもっとありますか?私が聞く限りは、最近こういう傾向が強い様です。
中には「え?それもう服を着たくないってこと?」と聞きたいくらいに、とにかく何でも面倒だと思う人もいます。確かに、先述のものを全て揃えると、服なんて選びたくないし、コーディネートも考えたくないし、着るときに面倒なのも嫌だし、着て違和感があるのも嫌。となる訳ですからね。
それってパジャマかな?とも思うし、まあそういう人はわざわざ寝るためだけの服としてのパジャマなんて持ってないだろうなとも思うし……とにかく、着ることにエネルギーをかけたく無いんだろうなという事が伝わってきます。
服って何の為のものなのか?
そうなってくると、そもそも服って何をする為のものなのか?何で着ているのか?という事を振り返る必要が出てきそうですよね。ラクな服が欲しい人にとっては「そんなの考えるのも面倒だよ」というのは分かりますが…
服って、天候などの自然から身体を守るために身に付けられたのが人類で最初か?というとそうでもなさそうでして、自分をより良く魅せるためのものが最初ではないかとも言われます。
実際、まだ服を着ていないのに自分を飾り立てて求愛行動をする動物はいますしね。
それくらい、自分を装い、良く見せる、格好良く見せるという行為は昔からありました。それはつまり、人生に関わる事でもあった訳です。
ファッションは、インターネットなどITが普及するまでは、いまのインターネットの様な存在だったと思います。
それ自体がなんだか良く分からなくても「それを自分のものにすればするほど、自分の人生がより良くなるだろう」という大きな夢を見せてくれましたし、自分の魅力をその他大勢に向けて発信するメディアでもありました。
最新のものがどんどん現れ、それに追いつかないのは時代に取り残されていくのと同義でした。ファッションが素晴らしいと、それだけで優れた人間に見られました。
誰もがファッション業界での仕事に憧れ、その業界で働くのが一種のステータスにもなっていました。いま、そんな憧れられる存在はインターネットなどITの分野になっています。
ファッションは、インターネットなどの電子情報として扱われる表現の一部になっている感があります。まずはインスタ映え。インスタでは、服以外のものを見せても、自己表現が出来ます。食べるもの、行く場所、住む家、使っている家具、小物、そして友人などなど。
そんな中にあって、いま服を着て何をしたいのか?誰にどんな事を表現したいのか?というのは、自分に対して結構大事な問いかけだと思います。
ラクな格好をしていると?
結構マジメな話になってしまいましたね。面倒くさがりな人には面倒な話でしょう。こういう事を考えるのが面倒で「ラクな服を」という人もいるのかも。
ただ、服は相変わらず「生き方を表現する」存在であり続けています。「ラクな格好」を実際にして、周囲からも「ラクな格好」と見られるなら、「ラクな人生を歩みたい」のだと思われやすいという事です。
それだけなら良いのですが、服はコミュニケーションツールでもあります。そこにチカラを入れていないとか、適当にしているという意味での「ラクをしている」という印象を与えてしまうと、そもそも人との関係をラクしたい、面倒は嫌だ。という人に見られる訳です。
「人と話したくない」「人と関わりたくない」「自分の世界だけで生きていきたい」「社会生活なんてまっぴら」であれば、この格好はジャストスタイリング。しかし、気の合う仲間を見つけて、その仲間たちと切磋琢磨しながら楽しく成長していく事を充実していると感じるなら、「ラクな格好」だけでは上手く自分の思いが届かず、「求める仲間」から自分を見つけてもらうのが難しくなってしまいます。
何を着こなせば良いのか?
という事で、先述の様な理由での「ラクなだけの服」はオススメしません。一方、周囲との良好な関係を持ちつつ人生を楽しみたいなら、ファッションは強力な味方になってくれます。そんな、強い味方となる様な服の着こなしはどうすれば良いのでしょうか?
ビジネスウエアは最近では、サラリーマンでもスーツ着用の義務化が少しずつ緩んできています。これまでスーツを着ていれば、他の人との差を大きく感じるさせる事もなく「それなり」にビジネスに相応しいとされる格好が出来ていました。これが、少しずつ無くなっている状態ですよね。
言い換えれば、これまでは会社などの組織から着るものを規定する事で、その組織のメンバーは殆ど考える必要もなく、ビジネス向きの格好が出来ていました。
それが、現在ではビジネス向きの格好を個々に委ねる様になってきたという事です。これからは、我々が自分で、自分のビジネスに相応しい格好を毎日考えなければならなくなってきたという事です。
これって良いことだと思います。自分で自分の格好を考えるというのは、自分を人にどう見せたいか?どう見られたくないか?というのを考えなければならなくなるということ。これはつまり、自分を知るきっかけになるのですから。
ただ、自分の思い通りに出来るはずのプライベートでさえままならない着こなしを、ビジネスで上手に着こなすにはどうすれば良いのかは、迷ってしまうはず。
この答えとして私がオススメしたいのは「スーツの装いをベースにした着こなし」です。スーツを着なくても構いません。でも、スーツに詰め込まれたノウハウをなるべく使う様にすると、大きな失敗(誰かに嫌がられる様な格好)を回避できる様になります。
先ほどの通り、スーツは多くの企業がユニフォームとして指定するほど「着るだけで何割か増しに見える」素晴らしい装いなのですから。
このノウハウに背を向けるのは無謀というものです。これは、ビジネスに限らず、プライベートでも、どちらもです。
ですから是非、スーツのノウハウを色んな場面で、着こなしに活かして欲しいと思います。
そうするときっと、意外に簡単に格好良い着こなしが出来るはずです。
ただ残念ながら、現在ではこのスーツの着こなしのノウハウを体系化して、さらにカジュアルな着こなしに応用&提案をできるところは多くありません。でも、提案してくれたり教えて貰えるところさえ見つかれば、きっとどんなシーンでも恥じる事のない格好良い着こなしになるはずなのです。
ぜひ、そんなことを教えてくれるお店やアドバイザーを見つけて、格好良くてさらに、いまの時代に合わせた着こなしをして欲しいと思います。もちろん、私もそんな提案は朝飯前なので、お気軽にお声がけください。
一緒に、「ラクになりたいだけ」の気分に流されない、本当に格好良い着こなしを楽しもうではありませんか。