大坂なおみ選手のルーツ、ハイチ共和国ってどんな国?
- 2019/02/14
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父親の故郷はカリブ海の国、ハイチ
全米オープンに続き、全豪オープンでも優勝!
大坂なおみ選手、すごかったですね。テニスの4大大会を連覇したのは、2015年のセリーナ・ウイリアムズ選手以来、初制覇に続いての連覇となると史上6人目、18年ぶりの快挙。これで彼女はアジア勢初となる、シングルスのランキング1位にも輝きました。
そんな大坂選手の活躍に盛り上がっているのは、日本だけではありません。彼女の父親の故郷であるハイチでも、大いに盛り上がりを見せているのです。
しかし、そんな「ハイチ」は多くの日本人にとって、決して馴染み深い国ではありません。タヒチと語感が似ていますから南洋に浮かぶ、のどかなリゾートアイランドをイメージしている人すらいることでしょう。
しかし実際のハイチは、のどかさとは真逆の国なのです。
ラテンアメリカ初、共和国の誕生
カリブ海の中央に浮かぶヒスパニオラ島、この島の東部は野球で有名なドミニカ共和国、西部がハイチ共和国になります。この島は15世紀の終わりにコロンブスが来航して以来スペイン領となっていましたが、勢力圏は東部のみとなっていました。西部を拠点としていたのがフランスの海賊たち。17世紀の終わりにフランス領となると、アフリカ大陸から奴隷が大量に連れてこられ、国民の大部分を占めるようになりました。
そんな中、本国フランスで革命が勃発したのは18世紀の終わり。これを契機に奴隷たちが蜂起、1804年には革命を起こし、フランス人の支配階級層の追放に成功しました。
そして、ラテンアメリカ初、黒人による初の共和国が成立したのです。
不安定な政情、災害、世界最貧国の一つ
と、ここまでは、ハイチの輝かしい歴史です。
しかし、この後が非常に悪い。内戦、独裁、クーデターが何度も繰り返されましたし、国境を接するドミニカとの間でも紛争は絶えませんでした。1915年から34年のアメリカによる占領を受けていた間や、1957年から86年までデュバリエ親子による独裁がおこなわれていた間は、政情もそれなりに安定していましたが、その後に続くのは、またもやクーデター。あまりにも不安定な政情が続くので2004年からは国連が介入、治安の回復と安定化を図っています。
そんな中、2010年にハイチを襲ったのがマグニチュード7.0の大地震。
今まで安定したことがない国だけに、インフラは脆弱。被害は甚大なものとなり、死者は31万6,000人に及びました。その後、追い討ちをかけるようにして起こったのがハリケーンによる洪水被害とコレラの流行。こちらでも死者は1万人に及びました。現在のハイチの一人当たりの国民総所得(GNI)は760ドル、世界最貧国の一つとなっています。
ハイチについて知っておく良い機会です
以上が私、アントニオ犬助が知るハイチの歴史と現状です。
犬助がこの国に興味を持ったのは、大坂なおみさんの活躍があったからではありません。昔、偶然購入した「BOUKAN GINEN(ブッカンギネ)」というハイチのバンドにひかれたことがあったから。一応はロックに分類される音ですが、8分の6拍子や12拍子といった具合にリズムが複雑かつ独特。アフリカの民族音楽を思わせるものでした。
ハイチについて調べたところ、やはり国の成り立ちとバンドの音には、深い関わりがありました。いち早くフランスから独立したことは、国に長く続く混乱を招きましたが、国民の祖先であるアフリカ、中でもフォン人と呼ばれる人たちの文化を残す要因にもなりました。ブードゥー教、祖先崇拝、そして音楽もその一つです。
なぜ、こんな話をするかというと、ハイチについて知っていること=大坂なおみ選手の父親のルーツの国というだけでは、少し寂しいと思うから。これを機会に歴史や現状、そして独特の文化について知っておくことは、マイナスではないと思うからです。現在ならばYoutubeでブッカンギネのPVを気軽に目にできるようにもなりました。ハイチの数少ない特産物の一つ、コーヒーも手に入れられるようになりました。強い酸味が特長となっていますから、こちらも、楽しんでみてください。