元横綱の輪島が亡くなったが、彼はどれだけ強かった?
- 2018/10/22
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若き日の格闘王を存在だけで威圧した、横綱・輪島
なぜ、男子は強さにあこがれを持つんですかね?
「最強の男はだれか?」というのは、私、アントニオ犬助が友人と酒を飲むたび、ここ30年ぐらい、ずーっと変わらないド定番の話題。本当に成長しないと、我ながらあきれてしまいますね。
そんな最強論議で1990年代に、必ず名前があがっていたのが「格闘王」こと前田日明氏。
恵まれた体格と空手仕込みの打撃、カール・ゴッチ直伝のサブミッション、スープレックス、そして危険な雰囲気。彼こそ最強の称号にふさわしいと、熱く語られていたものでした。
そう、危険な雰囲気。
これこそが前田氏の最大の魅力だったのですが、それもそのはず。彼は高校時代、大阪では名の通ったケンカ屋。空手道場に通う一方で「路上教習」と称して、ケンカ自慢の他校の生徒やヤクザを相手にするという毎日を送っていた前田氏は、目ぼしい相手は粗方片付けてしまったといいます。
そんな彼が目をつけたのが相撲取り。
大阪場所の開催中に、ある部屋が宿舎にしている建物の前で適当な相手を待っていたところ、ちょうど手ごろな序二段あたりの力士が出てきたといいます。
今だ、と思いケンカを売るべく行動を起こす寸前、彼が背後に感じたのは巨大な気配。
振り返ってみると、そこには横綱・輪島大士関が立っていたとか。その体の分厚さ、威圧感にすっかり押されてしまった前田氏は「僕、ファンなんです」と言い残して立ち去るしかありませんでした。
「怖いものなしのころの前田氏を、立っているだけでビビらせた」。
このエピソードは輪島氏の強さを充分に物語るというものではないでしょうか。
不格好だった、プロレスラーとしてのデビュー戦
第54代横綱、輪島大士関。
幕内優勝14回、通算673勝という実績、「黄金の左」「蔵前の星」という通り名、そんな彼が弱いわけがないのです。
しかし、そんな輪島氏にケチを付けたのが数々の破天荒なエピソード。中でも最たるものが、引退後に年寄株を担保に借金をするというという前代未聞のもの。この騒動で自身が親方を務めていた花籠部屋は解散、輪島氏も相撲界から身を引くことになってしまうのです。
そんな輪島氏が、相撲界の次に選んだのが全日本プロレスのリング。
デビューは1986年、「インドの狂える猛虎」タイガー・ジェット・シンとのシングルマッチだったのですが、当時の輪島氏は38歳。アスリートとして全盛期を過ぎていた上に、プロレス的な動きもマスターできていないという残念なもの。攻めが直線的な上に、次の攻撃に移るまでに、変な間が開くんですよね。
テレビで観戦していた犬助は、横綱時代の輪島氏を知らないこともあり「元横綱って名前だけなの?」という感想を持ってしまったことをおぼえています。
元横綱の凄みを引き出した、天龍源一郎
しかしレスラー時代の輪島氏が、ずっとそんな調子だったわけではありません。
例えば、全盛期の天龍源一郎氏との一戦。痛さの伝わるプロレスを標榜していた天龍氏は、相撲時代の大先輩に対しても情け容赦ない攻めを繰り出したもの。
ダウンしている輪島氏を引き起こし、額を何度も蹴り上げる。その激しさは流血はおろか、リングシューズの靴ヒモの跡が額にハッキリと残ってしまうほどのもの。大抵のレスラーはそれぐらい激しい攻めを受けると、戦意を喪失してしまうものです。
しかし、それに耐えた輪島氏は眼をむいて、天龍氏に向かっていった。
その迫力はテレビを通じても充分なほどに伝わりました。「やっぱり、すごいじゃん」、少年時代の犬助が輪島氏に対する認識を大きく改めた瞬間でした。
多く使い手がいる「チョークスラム」の元祖だった
そんなプロレスラー輪島氏の必殺技は、左手で相手の首をつかみ反動をつけた後に押し倒す「ゴールデンアームボンバー」というものだったのですが、残念ながら急ごしらえの感が否めない不恰好なものでした。しかし、その後「チョークスラム」と名を変えた、この技の使い手が続々登場。
WWEならばジ・アンダーテイカー、ケイン、ビッグ・ショー、全日本プロレスならば田上明氏など、大型レスラー定番の必殺技となったもの。そんな技を眼にするたびに犬助は、心の中で「ゴールデンアームボンバー」と、つぶやいてしまい彼の偉大さを思い出すのでした。
そんな輪島大士氏がこの世を去ったのは、今年の10月8日。
横綱時代や「とんねるず」らとバラエティで共演していたころについては、多く語られていたのです。しかし、プロレスラー時代についてはあまり語られていなかったもの。
不格好ではありましたが、元横綱という凄みを見せてくれたという点と、チョークスラムという技の元祖としては語られていませんでしたので、この場を借りて述べておきました。プロレスラーとしての輪島氏も、充分強かった。
他の多くの大相撲出身のレスラーたちと比べても、印象深い存在だったのです。