節分の豆まき風景が急激に減っている
- 2018/02/09
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いじめなのか不景気なのか風邪なのかそれとも…
もともと節分とは「季節の変わり目」を指す言葉で、実は四季それぞれに節分がある。
ちまたではとくに立春の頃の節分だけがクローズアップされるが、冬から春への季節の変化は人々がとくに待ち望んだものであり、祝いたい気持ちがより強いのかもしれない。
さてその節分の恒例行事といえば「豆まき」である。
「恵方巻きを食べる」と答える方が多くなり、世代間のギャップを感じるが、それもそのはず、近年この豆まきが急激に廃れつつある。
豆まきがそんなに排除されるのはどうしてなのか。
まずは大がかりな豆まきがなくなった理由
自分の住む地方では、以前は大きな郊外型ショッピングセンターなどで毎年「豆まき大会」が開かれていた。
これがまた想像を絶する人気ぶりで、豆とは名ばかりの豪華賞品が空を飛び交う夢の舞台?に、老若男女が集い、押し合いへし合いの争奪戦を繰り広げた。
ショッピングセンターに出店している店ならではの提供景品が多く、コスメ系、小物系、衣類系から、豆袋に隠された「当たりくじ」をつかめば、牛肉や電化製品までゲットできるという、冬の一大イベントだった。
ところがある年「ノロウイルス流行」で1回お休みしたかと思ったら、そこからはやったりやらなかったり不定期となり、ついにはここ3年ほど「休止」したままだ。
チラシには「今年はやりません」という文字がしっかり書かれているので、「人気があるから検討はしているが、よっぽどの記念でもないかぎりもうやらない」という雰囲気が見て取れる。
思うに、ノロウイルスに限らず、この手のイベントはケガ人やトラブルが出たら即終了だし、若干上向き加減の景気とはいえ、当日店側に提供に見合った売り上げがないことも影響しているのだろう。
こういうイベント的な豆まきは、なくてもまあ、まだいい。
文化行事としての豆まきが邪推される理由
いま話題になっているのはむしろ、家庭や教育の現場など、子どもたちの集まりで豆まきが急激に廃れていることだろう。
本来豆まきというものは「子ども込みでないと」楽しいわけもなく、また子どもだから「年の数だけ豆が食べられる」んであって、大人の口からブーブーどうこう言う理由はひとつもない。
けれど、豆まきの
▼まいて落ちた豆を拾う
▼窓を開けて寒空にデカい声で「オニはそと〜」と叫ぶ
▼鬼役は誰であれ豆をガンガンぶつけられる
という昔ながらのスタイルが、一部にまったく受け入れられていないのは事実だ。
文化を教える=教育的指導であるなら、衛生面や方法にもっと配慮したっていいじゃないかという声が上がり、やがてはその声が主流になったから無視できず、なんなら「我が家は恵方巻きでハイ終了」になるんだろうな。
行事の意味を教える必要はある
オヤジたちからあえて「ウチは豆なんかまかないぞ」と子どもたちに念を押す必要はどこにもないが、子どもたちから「ねえ、なんでウチは豆まかないの?」と聞かれたら、それに理路整然と答える親の義務はあろう。
それこそが教育の姿でもあるからだ。
「どうしてもやってみたいよ〜」とせがまれたら、オヤジなりに「じゃあ庭の豆は拾わなくていいよ」とか「福は内だけにしておこうか」とか「鬼じゃなくてインフルは外〜でやってみるか」とか、代わりの楽しめるアイデアを出してあげるのもいい。
それが親の愛というものだ。
豆まきくらい、とやらないのはかまわないだろう。しかし年中行事が「オトナの摩擦の元」であったとしても、子どもにそれを被せていいはずはない。やりたきゃやり方はいくらでもあるし、諭し方だっていくらでもある。
そうやってみんなで腹を立てているうちに、あなたの家に鬼が移ってきませんように。