世界的建築家・板茂が唱える・被災地でのプライバシーの重要性とは
- 2018/10/12
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自然災害が相次ぐ日本で、仕事に注ぐ以上の力を被災地支援に注いでいる建築家が居る。
紙の筒をはじめとした身近な材料を駆使し、独自の構造や工法を展開してきた建築家・板茂氏だ。
阪神淡路大震災では、兵庫・鷹取に紙管を使った『紙の教会』を作り、国の支援にありつけなかった現地の靴工場で働く人々の為に『紙のログハウス』を作った。
東日本大震災では、被災者のプライバシーを守る為に、紙管と布を使い、誰でも組み立てられる間仕切り『避難所用間仕切りシステム』を作り、後の災害地各地に提供される事となった。
災害支援を仕事と二本柱ではじめて20数年あまり。
当の板氏は、世界の災害に対するあり方は、変わったが、日本の役所の対応は、20年前と全く同じだという。それは何故なのか。
災害支援も仕事も変わらない輝かしい経歴の持ち主
板茂氏は、’57年8月5日生まれ。
高校卒業後、合格率5%と言われる、クーパーユニオン建築学部をめざし渡米。
南カリフォルニア建築大(SCI-Arc)に入学後、’80年にクーパーユニオンに編入、卒業後、’85年に建築事務所を設立。
’99年にはNY、’04年にはパリにも事務所を置き、現在は東京、パリ、NYを行き来する生活を送りながらチームで個人の邸宅、大規模建築、被災地支援まで幅広く手掛けている。
’14年には災害支援や、建築に対する姿勢が評価され、建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞。
’17年の叙位叙勲時には、紫綬褒章を受賞し、国際的には日本人で初めて『マザー・テレサ社会正義賞』を受賞する運びとなった。
1週間おきに日本と海外を往復する板氏は忙しいという事は、言い訳にならないという。
災害支援と仕事は設計料を貰えるか貰わないかの違いで、自分がかけるエネルギー、情熱、そこから得られる満足度に違いはないと板氏は語る。
そんな板氏が、災害支援に関わるきっかけとなったのは、何だったのか。
建設は人の役にたっているのか
板氏が、日本の被災地だけでなく世界の災害支援に携わるきっかけとなったのは、’94年のルワンダ難民キャンプの映像を目の当たりにした時だった。
当時、建築写真家・二川章夫氏のアシスタントの仕事をしていた板氏は、偶然にもこの出来事を知った。
’94年のルワンダ難民キャンプで、難民が毛布をかぶり寒さをしのぐ写真を見て、災害が起こっても建築家が何もしないのは何故だと思い、つてもないのに、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所にアポなしで訪ねて行ったといき、シェルターの建設を提案したという。
今からしてみれば無謀中の無謀だが、その当時、現地の担当者に、この提案が受け入れられた事が、板氏が災害支援に関わる始まりだった。
それから翌年の阪神淡路大震災の、鷹取教会や付近に住む人々の仮設住宅建築つくりに携わり、’11年の東日本大震災では、避難所の間仕切りシステムを構築した。
お金持ちのが財力や権力を社会に見せる為に建物を作る社会構造は今も昔も変わらないと板氏は嘆く。
商業ビルが賑わうのは建てられてから最初の10年で、20年もすればテナントが寂れてくるのが、その証拠だろう。
板氏は阪神以来、中越地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨と日本各地の被災地を訪れ被災者のプライバシーを確保すべく活躍してきた。
だがこの20数年間、世界のあり方は変わったが日本の自治体のあり方は、あまり変わらないのだという、それはなぜか。
前例がないと尻ごみする日本
これだけ注目されている板氏の提案した、避難所の間仕切りシステムや仮設住宅建築だが、日本の自治体の役員は『前例がない』という理由で対応しないのだという。
避難所のプライバシーがないために、車中泊をしてエコノミークラス症候群となる事の方が、命に関わるのに、役所は間仕切りを作ると影で酒でも飲まれると困ると言い張る始末なのだ。これが世界に行くとプライバシーを重視している避難所の状況に驚かされるという。
イタリア・ラクイラ地震の時には、軍が一家族に一つテントを支給して、プライバシーを保つようにしていたという。また、板氏の主催する被災地支援はNGOで、募金で成り立っているのだが、大型募金をしてくれるのは、フランシス=フォード=コッポラなど著名人が多いのだという。
災害支援を続ける理由の一つは、災害に遭った人は住む家を失っているのだから、その家を提供するのが建築家の役目だからだそうだ。
また、これから建てる大型建築物は、災害時に個人のプライバシーを配慮した避難所になるようにしなければいけないと警告を促している。
昔は雑魚寝が一般的だった大型フェリーの客室でさえも現在は個室が当たり前となっている。
こうした時代の流れを考えると、板氏の提案する被災地でのプライバシーは尊重されるべきではないだろうか。