神父さんと牧師さんは別の存在って知ってます?

  • 2018/08/31
  • ライフスタイル・娯楽
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  • アントニオ犬助
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思い出すのは、懐かしのフレーズ

思い出すのは、懐かしのフレーズ
「罪深き迷える子羊よ、入りなさい」
このフレーズを耳にして、懐かしさがこみ上げてくるのは間違いなく40歳以上、そう「ひょうきん懺悔室」なのです。
番組でNGを出した出演者が、頭から大量の水を浴びせられるというレギュラーコーナー。当時はどんなスターが水をかぶるのか毎週楽しみにしていたものですが、放送当初はとある宗教団体からクレームが付いたとか。

何でも、ブッチー武者さん演ずる怪しげな「神様」が、イエス・キリストを冒涜している様に写ったというのがクレームの内容。そこでブッチーさんは、当初、地面に平行にしていた両腕をナナメにすることで対処したといいますが、それでよく宗教団体もクレームを引っ込めたもの……何ともおおらかな時代ならではのエピソード、テレビが面白かった時代ならではのエピソードといえるでしょう。

 

「懺悔室」は、カトリック系教会を模したものだった

「懺悔室」は、カトリック系教会を模したものだった
ところで、そんなクレームを付けた宗教団体とはどこだったのか?
私、アントニオ犬助は、しばらく考えていたのですが、キリスト教、中でもカトリック系だったのではないか?と勝手に推測してみました(間違っていたら、本当にゴメンなさい)。

なぜなら(もっとも、ブッチーさんの背景には十字架はありませんが)、キリストの像に向かって礼拝をおこなうのはカトリックだから。
加えて神の前で犯した罪を告白し、悔い改める「懺悔(ゆるしの秘跡)」なる考え方があるのもカトリックだから。ちなみにカトリックでは「ゆるしの秘跡」をおこなう施設は、懺悔室と呼ばれることはなく「告解室」と呼ばれています。

そんな「ゆるしの秘跡」をおこなえば、カトリックでは洗礼を受けた後の罪はゆるされるとされています。しかし、罪は許されても罰はゆるされることはありません。
罰として断食や献金などをおこなわなければならないのですが、その献金という部分が肥大化してしまった結果、壮麗な大聖堂が建つ一方で、カトリックの一部は腐敗。
ルターらによる宗教改革へとつながり、プロテスタントやイギリス国教会が誕生するというのは中学生のころに習ったとおりです。

 

「牧師」さんと呼べるのは、プロテスタント教会だけ

ですから、プロテスタントの教会は質素を旨としていますので大聖堂などありませんし、十字架にはキリストの像はありません。
そんな、プロテスタントの教会にいるのは聖職者である「牧師」さんなのですが、ややこしいのは牧師=信者を導くものではないという考え方。「罪深き迷える子羊」たちを導くのは自らを羊飼いに例えたキリストであって、決して牧師さんではないのです。

一方で信者の世話をするという考え方がプロテスタントよりも強いのが、カトリックにおける「神父」さん。神父さんには序列があり、首座司教、枢機卿、総大司教といった具合にランクが上がっていき、頂点に位置するのがローマ教皇といういうことになるのですが、カトリックでも「羊たち」を導くのはキリストのみ。
ですから「罪深き迷える子羊よ、入りなさい」というなつかしのフレーズを口にするキリスト教の聖職者など存在しません。

 

よっぽど、式場のほうが不謹慎だという事情

よっぽど、式場のほうが不謹慎だという事情
さて以上のことでもわかる通りカトリックの神父さんがお世話をするのは、カトリックの信者のみ。このあたりの縛りはかなり厳格なようで、結婚式場で登場する神父さんは、まずカトリックの聖職である神父でありません。

「ならばプロテスタントの牧師さん?じゃあ神父さんと呼ぶのをやめて、牧師さんと呼ばなくては!!」と考えてみるも、これもまたアヤシイもの。
話によると結婚式場によっては、聖職(担当)者に白人を呼ぶか、黒人を呼ぶか、それとも日本人にするかで、料金に差があるとか。呼称がどうの以前の問題を抱えているのです。

もうねえ……このウサン臭さといったら「ひょうきん懺悔室」の比ではないわけです。だって「ひょうきん懺悔室」なんて自らウサン臭いといっていますが、式場の方は澄ました顔をしてウサン臭いことをやっているのですから。宗教団体は、よっぽど式場のほうにクレームを付けるべき。

まあ、まじめにやっている式場も中にはあるでしょうから、すべてがそうではないと付け加えておきます。

この記事の作者

アントニオ犬助
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みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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