働き方改革で注目を集める長距離カーフェリーは日本初だった?

  • 2018/07/16
  • ライフスタイル・娯楽
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  • 沖倉 毅
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CO2削減で、物流のトラック輸送を鉄道や船にシフトする事をモーダルシフトという。

働き方改革という面で見れば、トラックごと運搬出来て、運転手が船内で休める長距離カーフェリーの役割が、近年見直されつつある

長距離カーフェリーは日本初だった

長距離カーフェリーの本格的な仕組みを作ったのは日本人なのだ。
景気に左右されやすい海運業界で、長距離カーフェリー業界は、どの様にして生き残ってきたのか。

 

長距離カーフェリーは日本初だった

国鉄が明治後期から青函連絡船に代表される鉄道連絡船を就航させていたのに対し、民間の海運業者は、本土と離島、もしくは島と島の橋渡しの役割に甘んじていた。

長距離カーフェリーは日本初だった

民間海運業界に新風を吹き込んだのが関光汽船(山口県下関市)の創業者・入谷豊洲だ。
現・新日本海フェリー社長の父で『長距離フェリーの父』と呼ばれた男である。

豊洲氏は、広島の海運企業に就職し、戦後独立。
’64年の東京五輪の二年後、航路300km以上の長距離カーフェリーを運航しようとしたのだ。

『このままモータリゼーションが加速化しても、道路の整備がそこまで追いつかず、高速道路や幹線道路は渋滞するだろう。ならばトラックごと船で積んで運んでしまえばいいい。』

豊洲の構想から2年、運輸省の認可が下り、1968年8月、日本初の長距離カーフェリー(神戸ー小倉)が開通。
運航が始まると、船は旅客と貨物でいっぱいになった。

長距離カーフェリーは日本初だった

豊洲はこれをビジネスチャンスと捉え、’69年に新日本海フェリーを設立。
長距離カーフェリーを北の大地まで就航させ、東北新幹線が開通せず、寝台特急しかなかった時代に、カーフェリーの利便性を売り込んだ。

海運会社は豊洲の成功を目の当たりにし、彼のビジネスモデルを踏襲したが、生き残ったのは、豊洲のビジネスモデルのみ。それは何故だったのか。

 

景気の波にのまれ続けたビジネス

海運会社が次々と長距離カーフェリーに参入した’70年代前半は、18社がJLCFSA(日本長距離カーフェリー協会)に加盟し、航路を広げていた。

しかし’73年、’79年のオイルショック、道路の整備が進んだ事による国民の車や鉄道への移動手段のシフト。
物流もヤマト運輸が民間物流として名乗りを挙げた事で、海運会社のビジネスモデルは大きく狂いだした。

景気の波にのまれ続けたビジネス

’85年のプラザ合意で原油安になり、海運会社は国内クルーズ船ビジネスに乗り出したが、バブル崩壊と同時に、これもまた尻すぼみとなってしまった。

さらにとどめをかけたのが’08年のリーマンショックである。
時の麻生政権が『高速道路1000円計画』を打ち出し、長距離カーフェリーの需要は落ち込んだ。

この頃には物流も『あす楽』という、今日頼めば明日に品物が届くというシステムが定着し、その裏で運送業者の業務形態が問題視されていた。

だがトラックや観光バスをはじめとした物流、観光業界の業務体制のブラック化が本格的に表面化する事件が起きる。
6年前に関越自動車道で起きた高速ツアーバス事故だ。
これにより観光バス運転手のみならず、物流トラック、宅配運転手の過重労働が明らかになった。

そこで政府は、トラックに頼り切りだった物流を鉄道や船にシフトするモーダルシフトを発表。
長距離カーフェリーに久々にスポットライトが当たる事になった。

景気の波にのまれ続けたビジネス

全盛期に18社所属していたJLCFSAも今や8社。
生き残りをかけて各海運会社がやっている事とはどんな事なのか。

 

物流だけでなく観光事業にも参入

長距離カーフェリー各社は、訪日外国人対象に旅行券『Japan Ferry Pass 21』を発行している。
これは21日間で、最高6回、JLCFSAに加入する各フェリーに自由に乗り降りできるパスだ。

物流だけでなく観光事業にも参入

二等寝台利用で料金は21000円となるとJRの青春18きっぷ並にお得だろう。

貨物を主にするSHKグループの阪九フェリー(北九州市)では、大阪と九州を結ぶ便に’15年、1.5トンの大型船2隻を導入し、船の上層下層両方にトラックを積載できるようにしたという。

物流だけでなく観光事業にも参入

阪九フェリーと航路がカブるライバル的存在が、大洋フェリー(大阪市)だが、こちらも同じ年に、新型船を2隻導入。
トラックの積載量を増やすだけでなく、運転手向けの完全個室を設け、働き方改革に一役かっているという。

海運事業は景気など外的要因を受けやすい。
それは海に突如現れる大波の様であり、かじ取りを任されるのが社長の役目なのだろう。

新日本海フェリー社長で、JLCFSA会長の入谷奉生氏は豊洲氏の息子。
入谷氏は海運業について、目の前で起きた現象に対し、迅速かつ正確に判断し対応するかが求められると語る。

父は激動の時代に長距離カーフェリーというビジネスに賭け、息子は逆境をチャンスに変えた。
父・息子共々、まさに荒波の中、絶妙な舵取りで乗り切ったと言えるだろう。

物流だけでなく観光事業にも参入

今、入谷氏が考えているのは、国内の民間宅配便や、アマゾンなどが入り込んでいない地域に海運業の力を活かし、新たな物流網を作る事だそうだ。

海運業の可能性を広げてくれそうな入谷氏に今後も期待したい。

この記事の作者

沖倉 毅
沖倉 毅
ビジネスと国際関連をメインに執筆しています沖倉です。 転職経験と語学力を生かし、語学教師とフリーライターをしています。 趣味は定期的に記録会に出る水泳、3000本以上お蔵入り字幕なしも観た映画、ガラクタも集める時計、万年筆、車、ガーデニング、筋トレです。 どうすれば永遠の男前になれるかをテーマに、取材は匿名を条件に記事執筆に勤しみます。
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