かつて日本が世界に誇ったゼロ戦のその脅威と終焉
- 2017/10/20
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ゼロ戦に見る日本人の感覚
日本が生み出した兵器で世界最強とされたのが、零式艦上戦闘機、通称、ゼロ戦です。
これにはあの軍事大国アメリカでさえ飛行機の構造を分析するまで対応に苦しんでいたのです。
今でこそ戦闘機はジェットでしか有り得ません。
当時は同じプロペラ機でありながら、そのどこが画期的であったのか漠然としか知らない人も多いでしょう。
そこには犠牲にするものは犠牲にして成果を追求する事に専念すると言う日本特有の価値観があった事がうかがえます。
・ネーミングの由来
まず気になるのがなぜゼロ戦と呼ばれているのかです。
今でもそうですが新しい戦車や飛行機などにはその採用された年の下二桁を年式として振り付けられています。
それではゼロ戦が日本軍に採用されたのは1940年ですから、40式となるのではありません。
当時は西暦では無く、皇紀と言って日本の初めての天皇である神武天皇が即位した年を皇紀元年としていたのです。
それによるとちょうど皇紀2600年に当たったのです。
これにより零式艦上戦闘機と名付けられ、その活躍ぶりから略したゼロ戦が一般に広まったのです。
開発の経緯
ゼロ戦は端的に言えば、軍からのおよそ無理な性能の要求に応えた戦闘機です。
・持久力
当時は日中戦争も拡大し戦線も中国大陸の奥深くまでになったため、これを往復できる必要に迫られたのです。
爆撃機の護衛機として戦闘能力も求められました。
・アジリティ
日本人がスポーツで屈強な外国人と渡り合うためには欠かせないものです。
日本人の繊細な操縦能力の高さを生かすためにも当時から重要視されていたのです。
開発のポイント
これらの厳しい要求に最近、アニメにもされて有名になった堀越二郎が開発に取り組みました。
・エンジン
持久力とアジリティとを両立させるには、馬力があって燃費の良いエンジンがあれば良かったのですが、これは急に開発出来るものではありませんでした。
航空機用のエンジンは現在でも外国製品には見劣りするとまで言われています。
・機体の軽量化
ネジの表面を削って平らにして空気抵抗も減らすなどしました。
搭載する銃器も小ぶりな物にしかできませんでしたので、一発でも当てれば撃墜できるほどの性能も無かったのです。
そればかりか機体自体の厚さも薄くしてしまったために、逆に一発でも当てられればたちまち撃墜される仕様にもなってしまったのです。
パイロットを守る防弾性能も無い状態で出撃をしていたのです。
さらに骨格となる鉄骨に強力、穴を開けたりもしていましたからそれは耐久性能の乏しい戦闘機となったのです。
これにより左右への動きは素早くできますが、上下には翼に抵抗がかかるため急上昇や急下降は苦手でした。
開発のポイント
アメリカはこれを解明してゼロ戦対策を立てたと言われています。
すなわちゼロ戦一機に集中して背後から集団で襲い掛かり一発でも当てれば撃墜できると言う作戦です。
また背後からゼロ戦に狙われたらすぐに急降下すれば確実に逃げられていたのです。