ベース界のジミヘン「ジャコ・パストリアス」を知ってるか?
- 2018/10/30
- ライフスタイル・娯楽
- 695view
- 芸能/音楽
- 海外
- 紹介
- 芸能
- 音楽
革新的なテクニックでベースの可能性を広げた
1987年、35歳という若さで亡くなったベーシスト「ジャコ・パストリアス」を御存じでしょうか。
彼は革新的なテクニックで、エレキベースを主役級の楽器に化けさせた“レジェンド”なのです。
2015年にはアメリカでドキュメンタリー映画「JACO」が公開され、再び注目を集めることとなった彼ですが、映画のキャッチコピーの1つに「ベースをアートにまで昇華させた問題児」とあるように、生き方そのものも話題に事欠かない人物でした。
ベーシスト、ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー!映画『JACO』予告編
17歳でフロリダNo.1のベーシストに
レジェンドと呼ばれる人たちの多くは「ずっとそれだけをやって、極めてきた」という人も少なくないのですが、ジャコは別でした。
ジャコの音楽人生のスタートは、意外にもドラムから。
音楽人生における分岐点に立たされたのは、ドラマーとしてバンドにも在籍していた13歳のころです。
フットボールの試合中に左足首を骨折し、ドラムを続けることが困難になったのです。
挫折を味わったジャコですが、これが一つの転機となり、当時在籍していたバンドのベーシストが脱退したのも重なって、ドラマーからベーシストへと転向します。
それからのジャコは、めきめきと腕を上げ、17歳にして「フロリダで1番上手いベーシスト」と評価されるほどになりました。
「ジャコ・パストリアスの肖像」をリリース
1976年にリリースしたアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」は、ベースの概念を覆したといっても過言ではなく、この1枚のアルバムでベースの可能性が大幅に広がりました。
メロディアスなフレーズと高速のリフは当時としては革新的で、ジャコのテクニックと作曲能力がいかんなく発揮された作品でもありました。
そして、このアルバムが成功したのは、ジャコの周りを固めるメンツの力も大きいでしょう。
アルバムに参加したサム&デイブ、ハービー・ハンコック、デヴィッド・サンボーン、ランディ・ブレッカー、ドン・アライアス、ナラダ・マイケル・ウォルデン、レニー・ホワイトは、実力のあるプレイヤーです。
運と人にも恵まれ、ジャコは生ける伝説として、世界中のファンを魅了していくこととなりました。
ウェザー・リポートではドラムも披露
ジャコ・パストリアスの肖像をリリースして間もない1976年、アメリカのジャズ・フュージョン・グループの「ウェザー・リポート」に楽曲「バーバリー・コースト」を提供。
さらに翌年1977年には、同グループのアルバム「ヘヴィ・ウェザー」にジャコのベース・ソロとドラミングが収録された「ティーン・タウン」が収録され、世のベーシストたちに衝撃を与えました。
来日コンサートの際には、オープニング曲でジャコがドラムを演奏したこともあります。
ウェザー・リポート以外にも様々なセッションに参加し、ジャコ自身の黄金期ともいえる目覚ましい活躍を見せていました。
心の闇と死
ジャコは、ウェザー・リポート時代からドラッグとアルコールに手を出すようになり、同グループを脱退したころからはコカインに依存し、双極性障害にも陥っていたといいます。
来日コンサートの際にも奇行が見られ、帰国後は精神病院に入ったこともあります。
そして、ついにその時が訪れます。
1987年9月、泥酔中にガードマンと乱闘になり、ジャコはコンクリートで頭を強打。
これが原因で植物状態になり、親族で話し合った結果、ジャコの父親の手によって人工呼吸器が外されました。
プレッシャーに苦しんでいた
ジャコがアルコールやドラッグに走ったのは、トップスターでいることに強いプレッシャーを感じていたからともいわれています。
ジャコのファンは、彼のプレイや新曲を心待ちにしていたわけですが、素晴らしいプレイで魅了してきたジャコだからこそ、努力と苦労は相当なものだったに違いありません。
奇行などが問題となって晩年は干された状態になっていたとはいえ、今も多くのファンに愛されているジャコ。
あなたも一度聴いてみませんか?