世界に誇るジャパニーズメタルの歴史を振り返ろう!
- 2017/06/15
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ジャパメタという無二の存在
かつて一世を風靡したヘヴィメタル。
最近はBABYMETAL、DIR EN GREY、マキシマム ザ ホルモンらの日本勢が海外のフェスで成功をおさめ、ジャパニーズメタルが再び注目を集めるようになりました。
ヘヴィメタルの歴史は長いようで短く、世界的なムーブメントをつくり上げたのは1970年代、ヴァン・ヘイレンの「炎の導火線」です。
このアルバムを機に、アメリカにもヘヴィメタルシーンが広まり、欧州のバンドがアメリカというビッグマーケットに進出するようになりました。
この頃に登場したイギリスのアイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、オーストラリアのAC/DC、当時の西ドイツのスコーピオンズなどは、今も根強いファンが多いです。
そして日本ではまもなくして、和製ヘヴィメタルである「ジャパニーズメタル」が全盛期を迎えました。
1970年代初期こそ、日本ではハードロックの人気がなかったと言われていますが、ディープパープル、レッドツェッペリン、マウンテンらが日本公演を成功させているので、一定のファンはいました。
今のように一般的な人気があるとは言えないものの、コアなファンに支えられていたのでしょう。
ジャパメタを語るに外せない「LOUDNESS」
当時、日本のハードロックは売れないと言われていましたが、高崎晃と樋口宗孝が中心になって結成した「LOUDNESS」は、デビューコンサートで約3000枚のチケットを完売させ、1980年代中ごろには海外進出を果たしました。
1985年に発売した「THUNDER IN THE EAST」はアメリカのビルボードチャートで74位、翌年に発売した「Lightning Strikes」は64位という偉業を成し遂げます。
THUNDER IN THE EASTは第27回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞し、国内でも高く評価されました。
この頃のジャパメタブームで、バンドに明け暮れたオヤジも多いはずです。
当時、高崎晃に憧れていたギターキッズが、大人になってランダムスターをオーダーメイドした…なんて話も耳にします。
女性ロッカーの地位を向上した「SHOW-YA」
1985年にデビューしたSHOW-YAはメンバー全員が女性のバンドで、最初こそは歌謡メタルでしたが、ハードなサウンドへと変貌を遂げていきます。
SHOW-YAによる女性ロッカーを集めたイベント「NAONのYAON」は、2017年で通算12回、初開催から30周年を迎えました。
唯一、紅白歌合戦に出演したメタル系バンド「聖飢魔II」
「聖飢魔II」は今もなお認知度が高く、紅白歌合戦に出演した唯一のメタル系バンドです。
ボーカルのデーモン閣下はコメンテーターとして情報番組に出演したり、子供向け番組で歌唱したりと、現在も多方面で活動を続けています。
1980年代後半~1990年代
バンドブームとイカ天ブームに乗って、ジャパメタも一定の盛り上がりを見せていましたが、やがて冬の時代を迎えます。
1990年はメタルの派生ともいえるヴィジュアル系が全盛期を迎え、かつてはメタルバンドとして数えられていた「X」そして「X JAPAN」がヴィジュアル系の始祖的な存在として確固たる地位を確立しました。
ジャパニーズメタルの発展に貢献したバンドは数知れず、紹介しきれないのが悔やまれますが、この記事を機に当時のワクワクや感動を思い出していただけたら幸いです。