さあ、スーツの話をしよう
- 2016/10/14
- ファッション
- 766view
- スーツ/フォーマル
- スーツ
- ビジネスマン
- ファッションマナー
- 歴史
今年の10月7日は、スーツの歴史にとっては節目となる日でした。
スーツの基になる装いが生まれてから、350年目になるのです。
350年前のその日、1666年10月7日は、スーツや男性ファッションにおいて、ひとつのターニングポイントと言えるでしょう。 その日はイギリスで、国王チャールズ2世が衣服の改革宣言をした日とされます。 その当時の服の形は、いまのスーツとはかなり異なりますが、原型がそこで生まれたとされているんですね。
早いもので、今年はその日から数えて350年目ということです。今回はそんな節目となる年ですから、スーツに触れない訳にはいきません。
今回はそんな、スーツの長くて深い物語の一端をご案内しましょう。今回の話はちょっとマニアックかもしれません。
◇「スーツはどんな服ですか?」と聞かれたら?
もしあなたがスーツについて、どんな服か?という説明を求められたらどう答えますか?
服の形は、細かいデザインの名前を知らずとも話が通じそうですね。「スーツ」という言葉からイメージする服は、ほとんどみんな変わらないのですから。
では「どんな人がどんな風に着る服か?」というアプローチではどう答えられるでしょうか?スーツを効果的に着ている人や、その着方という事です。
これって少し難しいですよね。簡単ですか?ちょっと例を挙げてみましょう。
・政治家が信頼感や誠実さを表現するとき
・ビジネスマンが同じく信頼感や誠実さを表現するとき
・男性が大事なパーティーなどに招待された時
・男性が女性に対して「格好良い男性」をアピールしたい時
・ホストが男としてのセックスアピールをする時
・マフィアなどが威厳やパワー、恐怖を表現したい時
さて、少しずつ変わったイメージが出てきて、最初と最後を見ると、ほとんど正反対のイメージの人間が出てきてしまいます(「似たようなもんじゃないか」とか言わないように)。
でも、これらの人たちにとって、スーツはもうほとんど「当たり前」に近い服ではないでしょうか。
なぜ、スーツは形が変わらずとも、こんなにも多様な装いで使われるのでしょうか?
◇350年も続いたからこそ
こんな多様な表現を可能にしてくれる、懐の深いスーツの本質を知るには、やはりその歴史を紐解くという事になります。
でも、スーツの350年史を追っていくなんて途方も無い事ですから、もちろん大事なポイントを(それも結構端折って)見ていきます。
まず、350年前に生まれた、スーツの基となる装い。当初のスーツで、何がポイントになったかというと
・ジャケット+ベスト+ネクタイ+シャツ+パンツという組み合わせが出来た
・シンプルを良しとする着こなしになった
・女性ファッションとの分かれ道になった
・表現するものが財産、土地、名声などではなく、着る人の「資質」になった
・主に流行として語られるファッションから距離を置いた
こんなところでしょうか。これは、いまの我々が普段接しているスーツにも脈々と受け継がれています。
これがスーツの根っこともいうべき部分でしょう。
そして、シンプルですね。ややこしい事を言っていません。だからこそ、服としての形は同じであっても、時代に必要とされる意味づけを付加し、変化させる事ができて、今に至っています。
◇なぜ、350年も続いたのか?
そうはいっても、350年もの間、平穏に続いて今に至っている訳ではありません。当たり前の様に、かなりの荒波に揉まれているのです。
その中のいくつかをご紹介しましょう。
例えばスーツは「目まぐるしく移り変わる様な流行の舞台から降りた」と言われます。いま「ファッション」という言葉を使うと、だいたいこの「コロコロ変わる流行」の事を言っている場合が多いですね。
この目まぐるしく移り変わるファッションというのは、いまある装いやデザインを、いかに過去に追いやり、あたらしい物を創造するか、というポイントに力点が置かれています。
それこそがファッションであり、格好良さだと言わんばかりです。過去に流行った服を見ると、全てが格好良くは思えませんよね。 「何この格好?」なんてものもあります。
これはまさに、最優先事項が「格好良さの表現」ではなく、「いかに新しいものを創造していくか」にあるからでしょう。
一方、スーツはひとつの装いをひたすら磨き上げてきました。いまを否定し全く新しい何かを模索するのではなく、いまあるこのスーツをさらに良くするために磨きをかけていく、という手段を取ったのが、スーツという装いです。
この戦略によって、スーツは350年もの間、伝統工芸品や民族衣裳の様な立場になったり、過去に追いやられる事もなく、装いの最前線で扱われ続ける装いとして親しまれています。
さらに、スーツは今に至るまでの間に、いくつかのデザイン変更がありました。このデザイン変更の仕方にも、スーツならではといったものがあるのです。
スーツは、時には否定される装いとして槍玉に挙げられたこともあります。「スーツなんて、こんなに格好悪いじゃないか」とか「こういう格好の方が格好良いよね」なんて具合に。それに対して、スーツはどんな手で打って出たのか?
スーツは、それらが主張するのに使っていた、まさにその当時のスーツとは相反する様な装いを、一部であっても自らに取り込んでしまったのです。これはすごい対抗手段といえるでしょう。拒絶や無視を決め込むこともなく、吸収し自分のものとしてしまったのです。
だからこそ前述の通り、聖人君子を装うべき政治家が着ているかと思えば、それに相反して悪の権化を表現すべくマフィアさえもスーツを着こなすのです。対抗勢力に対する懐の深い対抗手段がそのまま、ファッションとしての表現の懐の深さへと通じているということですね。
こんな面を持っているからこそ、スーツは途方もない長い歳月の中でも色褪せることなく、それぞれの時代の最先端を生きる男性たちをも彩ることができたのでしょう。
◇スーツに対するよくある誤解
スーツというのはそんな風に、表現の幅と深さを持った、大人の男に似合う装いです。ただ、あまりにも普遍的で昔から存在し、どこでも見かける装いですし、日本にあってはサラリーマンの仕事着というイメージも少なく無いので、誤解されることもあります。その筆頭が「没個性の装い」というものではないでしょうか。
これは大いなる誤解なので、そう認識している方のためにも、350年目の節目にこの誤解を解いておきましょう。
スーツは、基本的に形が決まっています。細かいデザインの違いはあるものの、スーツを着ている男性だけのパーティーがあったとしたら、そのデザインの違いは大したものにはなりません。
服に過剰な装飾をするわけでもないですし、派手な色も基本的には使いません。また、ブランドのロゴも表に出すことがありませんね。つまり、「着ている服はほとんど同じに見える」ということです。ここが、スーツが「没個性」と思われてしまう部分です。しかし、350年もの歳月をかけて磨き上げられて着た装いが、そんな表現で終わってしまうわけがないのは、ここまで読んでいただいた方ならお分かりでしょう。
では、スーツはなぜ「没個性」の服ではないのか?
もう一度確認しましょう。スーツを着た男性が集まれば、「’’着ている服’’はほとんど同じに見える」だけですから、違う部分もあります。つまり、当たり前ですが’’着ている人’’が違うのです。服を同一化することで、この着ている人、それぞれの人となりが如実に違いとなって浮かび上がってくるのです。
さらに、服には装飾もないし色もありません。宝石などを付けられるのなら、自分の資産の豊富さを表現したり、ブランドロゴなどでそのラグジュアリーさを表現できるかもしれません。流行りのものを身に纏えば、時代の先端にいる自分が表現できるかもしれません。でも、それさえ表現する余地がないのです。そういう社会的なステータスを排除した、「本人の資質」のみを表現するというのが、このスーツという装いの表現方法なのです。
これほど個性を存分に表現しようとする装いが、他にあるのか?と思ってしまうほど、スーツは個性を表現できる服なのです。
さて、本当に大雑把に、半ば乱暴な流れではありますが、スーツの歴史を見ながら、本質となる部分をご紹介してきました。まだまだ紹介したい逸話、魅力というのは山ほどあります。そういった話題に事欠かないというのも、スーツがこれだけ長く、広く愛される理由なのでしょう。
これから秋本番の季節です。スーツとは言わずとも、その装いを楽しめるテーラードジャケット1着でも羽織って外に出ようではありませんか。様々な男の格好良さを表現できる懐の深い服なのですから、きっとあなたらしい格好良さで、秋晴れを気持ちよく楽しめるはずです。