日米開戦となった真珠湾攻撃は日本軍の卑怯な奇襲だったのか?

  • 2017/10/04
  • ビジネス
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  • 松村 昴
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真珠湾攻撃とは?

太平洋戦争の緒戦であり、日米開戦の発端となったのが真珠湾攻撃です。日本史の中でも学ぶ重要なことであり、オヤジ世代も学んだことがあると思います。そんな真珠湾攻撃について、「日本軍の卑怯な奇襲攻撃だった」と批判する人が多くいます。しかし、真珠湾攻撃の事実は異なります。そこで、当時の状況などから真珠湾攻撃は本当に「日本軍の卑怯な奇襲だったのか?」を検証していきます。

真珠湾攻撃とは

真珠湾攻撃前の状況

真珠湾攻撃が行われる前の日本の状況は追い詰められています。当時日本軍は中華民国と日中戦争をしていました。この日中戦争は陸軍の暴走もあり、戦線は拡大して長引きます。アメリカは日本が中華民国への進出を快く思っていませんでした。そこで、アメリカは中華民国との戦闘に反対して、日本に経済制裁として石油や物質の輸出を禁止したのです。当時、日本はアメリカに石油の約8割を頼っていました。そんなアメリカが輸出を禁止したら、日本は戦争を維持することもできません。そこで、日本もアメリカと交渉します。しかし、アメリカの国務長官・ハルは拒否し、満州からの全面撤退を要求するハルノートが提案されることになるのです。もちろん、日本が受け入れられるはずもなく真珠湾攻撃へとつながっていくのです。

真珠湾攻撃前の状況

真珠湾攻撃開始

日本時間の1941年12月8日の未明、日本軍による真珠湾攻撃が開始されます。真珠湾攻撃を提唱したのは、開戦時に連合艦隊司令長官の山本五十六です。真珠湾攻撃により、アメリカ軍の戦意喪失や空母破壊による本土空襲の回避が目的でした。そして、真珠湾攻撃ではアメリカ軍に大打撃を与えることになりました。しかし、開戦に宣戦布告が遅れたことにより、アメリカから真珠湾攻撃は卑怯な奇襲と言われるようになったのです。

 

真珠湾攻撃が卑怯でない理由

しかし、宣戦布告がなかったから日本軍の真珠湾攻撃は卑怯な奇襲だとされるのは違和感があります。なぜなら、過去の戦争の開戦を紐解けば宣戦布告がないのは当たり前です。つまり、開戦の慣例として宣戦布告は必要ないのです。しかも、太平洋戦争後の戦争だって宣戦布告などありませんでした。朝鮮戦争やベトナム戦争、イラン戦争など戦争でも宣戦布告はありません。しかし、問題になっていることはなく、卑怯とされていません。それにも関わらず、日本軍の真珠湾攻撃だけが卑怯な奇襲とされるのはおかしいのです。

真珠湾攻撃が卑怯でない理由

利用された真珠湾攻撃

真珠湾攻撃を「卑怯な奇襲」とされるのは当時ルーズベルト大統領が第二次世界大戦に参加するためです。当時のアメリカ国民は厭戦気分が蔓延していました。これは、第一次世界大戦で自国とは関係ないヨーロッパで多くの若者が戦死したからです。しかし、ルーズベルト大統領は日米開戦により、第二次世界大戦に参加したいと考えていました。そこで、真珠湾攻撃で日本軍が「卑怯な奇襲」をしたと宣伝し、国民に反日感情を煽り戦争へと駆り立てたのです。つまり、真珠湾攻撃を卑怯な奇襲とするのは、アメリカが真珠湾攻撃を利用して戦意高揚させるためだったのです。

この記事の作者

松村 昴
松村 昴
大学生時代からギャンブルを愛するフリーライター。 競艇・競馬・カジノがとくに大好き。 現在は全国24競艇場を旅しながら記事を執筆中。 趣味はアウトドアでキャンプやサイクリングで気分転換。
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