平安時代における男性のモテの定義はこの2つだった!?
- 2019/07/01
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時代によってモテる男性は違う?
いつの時代であっても、女性からモテたいと思うオヤジがほとんどではないでしょうか。しかし、実は時代によってはモテる男性像というのは違います。時代が違えば価値観が違うのですから、モテの定義が変わってくるのも当然かもしれません。
それでも、過去のモテる要素を知ることで、現代のオヤジのモテにつながる可能性はあるでしょう。モテに悩むオヤジのヒントがあるかもしれません。そこで今回は、平安時代における男性のモテの定義について紹介していきます。
平安時代のモテる男性は「教養」がポイント
平安時代のモテる男性の定義は、教養がポイントとなっています。なかでも最重要視されたモテ要素が「和歌が上手なこと」です。和歌は教養がなければ読むことはできないため、やはりこの時代には教養がモテるためには必要だったことがわかります。
また、教養の中にはマナーや常識なども含まれています。平安時代であっても、マナーや常識がないと男性はモテることはできないのです。いずれにしても、平安時代のモテには教養がポイントとなっており大切な要素だったのです。
実は男性だけでなく女性も教養がモテには必要な時代!
平安時代の男性は教養がモテるポイントだったわけですが、実は女性も同じだったとされています。女性も「和歌が読めること」がモテるための絶対条件とされており、和歌が読めるような教養・知性が必要だったのです。
しかも、この時代の女性は教養・知性を持っていても、「ひけらかしてはいけない」ということも大切だったとされています。知識をひけらかす女性は、批判されて嫌われるケースもあったのです。
ちなみに、この時代の女性と言えば「源氏物語」の紫式部や「枕草子」の清少納言」が有名です。あれだけの文書を書くことができた2人は教養もあって、きっとモテたことでしょう。
平安時代のモテには家柄も重要だった!?
モテの定義でポイントになったのが教養ですが、平安時代では家柄も重要視されています。天皇家につながる血筋が入っているだけで、かなりモテたと言われているのです。また、平安時代は貴族がいる時代であり、貴族としての役職の位が高いほどモテています。上流貴族ほど教養も必要とされるだけに、モテにつながるのも納得ではないでしょうか。
ちなみに、当時の女性のモテに関しても家柄が重要だったとされています。女性自身の役職などではなく、父や祖父などの官職などがポイントであり、家柄がよいほど男性からアプローチされやすかったのです。家柄がモテ要素になるというのは、あまり家柄が重視されない現代社会とは大きく異なると言えるでしょう。
平安時代は顔を見ないで恋愛スタート!?
教養や家柄がモテるための定義になっている平安時代ですが、これには当時の恋愛事情が関係しています。実は当時の女性はほとんど家から出ることはなく、親しい人以外に顔を見せるということはない時代です。そのため、現代のように「男女が街で出会って交際に発展する」なんてことはありません。それでは、当時の男性はどうやって女性にアプローチするのでしょうか?
当時の恋愛では、男性が気になる女性の情報を収集するところからスタートします。ウワサ話や評判などを集めて、まずは家柄や自分の好みの女性なのかを調べていきます。そして自分のタイプだった女性には、アプローチしていくのです。そのアプローチ方法が和歌や手紙であり、ここで教養が必要となってくるのです。
和歌・手紙でのセンスや知性によって女性は男性のことを判断するため、教養がなければモテることはできません。どれだけイケメンであったとしても、直接顔をみて恋愛が始まるわけではないので意味がないのです。それよりも、アプローチした際にアピールすることができる、教養がモテるためには必要なのです。
平安時代にイケメンとされた顔立ちは?
教養や家柄がモテの定義だった平安時代ですが、実は当時もイケメンとされている容姿があります。当時好評だったのが高身長で容姿端麗な男性であり、さらには優しい男性が人気だったとされています。また、色白の細面であり、目鼻立ちがクッキリとしている男性がイケメンとされており人気です。
これらの条件は、現代のモテにも通じるものがあります。いつの時代も高身長で容姿端麗、そして優しい男性がモテるのかもしれません。ちなみに、これらの条件をクリアして、さらに和歌が上手でマナーや常識などの教養がある男性のことを「雅男」と呼び、平安時代にはとてもモテていたとのことです。
平安時代は一夫多妻制だった!?
平安時代のモテについて紹介してきましたが、少し当時の結婚についても紹介しておきましょう。現代の日本では考えられないことですが、平安時代では一夫多妻制が一般的なものでした。しかも、当時は多くの女性を養うことができるのがステータスとされており、今では考えられない結婚に対する価値観だったのです。
とは言え、平安時代も正妻は1人だけしか持つことはできません。正妻以外の女性は「妾」という立場です。一般的に家柄が良くて教養のある女性ほど、正妻として選ばれる傾向にあったとされています。
正妻は邸内に住むことができるのですが、妾の女性は邸内に住むことはありません。そのため、妾の女性は自分の家から出ることはなく、夫が妾の家に赴くという通い婚スタイルでした。今の時代なら重婚や通い婚は考えられず、結婚に関する価値観は当時と現代で大きく違うことがわかりますね。
合法的に存在した「夜這い」!
これも驚くことですが、平安時代には「夜這い」という行為が合法的に存在していました。しかし、現代の夜這いと当時の夜這いでは意味が違います。現代だと単純に男性が女性の寝室に忍び込み、性行為をすることです。しかし、当時の夜這いはプロポーズを意味していたのです。
夜這いまでの流れとしては、まず仲介人によって男性から女性に和歌や手紙が渡されます。これに女性が心を打たれれば、今度は女性から男性に仲介人を通して手紙が送られます。そして、占いによって吉日を選びだし、女性の部屋に忍び込んで契りを結ぶのです。
ちなみに、女性の部屋に忍び込む夜這いは3日続き、その間に男性・女性のどちらかが不満や不正があれば結婚せずに関係は終了となります。逆に3日間無事に継続された場合、3日目に「三日の餅」というものを食べて結婚が成立するのです。このように、現代と当時では夜這いの意味が全然違うので驚きです。
平安時代に比べれば現代の方がモテやすいかも!
現代と平安時代のモテを比較した場合、現代の方がモテやすい気がしませんか?当時は教養や家柄が重視されており、しかも恋愛に発展する前に相手の顔を見ることができません。家柄は変えることができないし、相手の顔もわからないのに恋愛をするなんて難しすぎます。
その点、今の時代なら家柄は関係ないし、街で女性と出会うこともあるのでモテるチャンスがいくらでもあります。それだけに、今の方がモテやすいはずであり、当時の男性のモテへの悩みに比べればマシだと思えるのではないでしょうか。
ただ、当時の男性の女性へのリサーチは、今の時代でもモテには重要かもしれませんね。好みの女性についての情報を収集することで、上手くアプローチできるのはどの時代も同じです。平安時代のモテと今の時代のモテとは違う面が多いですが、手本にできる部分は参考にしてみてはいかがでしょうか。