「大奥」で性の花が咲き乱れる!驚きのセックススキャンダル

  • 2017/07/25
  • モテ
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江戸時代に栄えた「大奥」での生活

江戸時代に栄えた「大奥」での生活

江戸時代に誕生した「大奥」は漫画やドラマの題材にもなり、大規模な“女の園”としても有名です。
女中の数は1000~3000人とも言われ、6000坪の敷地内には約600部屋があったと言われています。

そして、大奥の中には厳しいしきたりがいくつもあり、ぶっ飛んだスキャンダルが勃発していました。
根底には権力争いや女たちの思惑が垣間見えることも少なくなく、我々の想像を遥かに超えるとんでもない世界だったのでしょう。

時代も時代なので、セックス観も現代とはかけ離れていましたし、現代人には考えられないエピソードが数多く確認されています。
そんな大奥は将軍や女性達にとって楽園と呼べる存在だったのでしょうか。

 

大奥のしきたり

・門限は午後6時。春日局であっても門限を厳守しなくてはならなかった。
・正月になると、新入りの女中は全裸になって踊らなくてはいけない(刺青が入っていないか検査するため)。

そして、大奥に住まう全ての女性が優雅な生活を送っていたわけではありません。
女中は御台所起こした後、洗顔からかけ湯、着替え、食事などで慌ただしく、トイレの後にお尻を拭くのも女中の仕事でした。

 

大奥のスキャンダル

大奥のスキャンダル

・門限に遅れたことで1500人が処刑・遠島などの処分を受けた。
・59人もの女中と関係を持った僧侶がいた。
・徳川吉宗は大奥の人件費を削減すべく、50人の美女を解雇した(美女なら大奥の外でもうまくやっていけるだろうと見込んだ)。
・女好きで有名な徳川綱吉は自身の母と子にも手を出していた。

不倫で大騒ぎになる現代のスキャンダルとはスケールが違います。
将軍のことで頭をかかえていた女性達も沢山いたのでしょう。

 

大奥のセックス観

・1度でも将軍とセックスしたら城から一生出られず、結婚も許されない。
将軍の性癖や秘密を外部に漏れるのを防ぐために、このような決まりがあったようです。

・将軍とセックスする際には監視が付く。
セックスの際に将軍が重要機密を漏らさないとも限らないので、監視する「お添い寝役」が付いていました。

・将軍とのセックスが許されるのは20代の女性だけ。
当時の30歳以上は高齢出産にあたりますし、お世継ぎ問題もかかってくるので、30歳未満の若い女性だけが将軍と寝ることを許されていました。

 

大奥の終焉

慶応4年の江戸城明け渡しとともに大奥は終焉を迎える

大奥という区画は初代将軍である徳川家康の時代から存在していましたが、政治を行う「表」と、生活の場である「奥」の境界ができたのは2代将軍である徳川秀忠の頃です。
そして、3代将軍・徳川家光の乳母である春日局によって組織が整備され、今知られている大奥が形成されていきました。
それから長らく、大奥は独自の繁栄を遂げていきますが、慶応4年の江戸城明け渡しとともに終焉を迎え、ベールに包まれていた大奥での生活が解雇された女中たちによって広く知れ渡ることになります。

輝かしい栄華の陰で繰り広げられてきた争いを考えると大奥は恐ろしい場所とも取れますが、“世界一の楽園都市”とも言われる江戸を支えてきたのも事実。
パワフルな女性達が活躍していたことを考えると、現代社会に通じるものがあるのではないでしょうか。

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