子供の心をつかむ「サーカス」って何時頃はじまったのか?

  • 2019/02/08
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一向に廃れないサーカス人気

一向に廃れないサーカス人気
今では仕事一筋の真面目な大人でも、子供の頃はサーカスに胸をときめかせていた記憶もあるものです。
それは今の子供でも変わりなく、人気が継続しているようです。
ではもっと昔はどうだったのか、時代を超える人気のサーカスは何時頃からの話なのかについて調べてみました。

・サーカスとは
見世物として成り立つレベルの芸を人間や動物が円形の劇場で披露するものです。
語源はその円形劇場のサークルから来ているのではないかと想像もされますが、真偽は不明でその説も確かにあるようです。

 

世界のサーカス史

・古代サーカス
エジプト時代には既に曲芸を見世物にしていたようです。
それをローマ時代になって円形劇場で執り行われるようになったとされています。

・近代サーカス
現代の様式になったサーカスは、1770年にイギリスのアストリー・ローヤル演芸劇場で行われたものを起源にして全世界に広まったようです。
特徴的なのがピエロを登場させたことで、このスタイルはイギリスの退役軍人であったフィリップ・アストリーが考案したものとされています。
会場の雰囲気を盛り上げ観客に楽しみながら見てもらうための役作りをしたのです。
1800年代に入ってその化粧や衣装も現代の形になって、サーカスには欠かせない存在にまでなったようです。

 

日本のサーカス史

こうして世界に渡り始めたサーカスが日本に上陸したのは1864年のことです。
アメリカ・リズリー・サーカスが横浜で行われたのです。
日本でも既にもっと前から見世物小屋で珍しい芸を見せて商売にしていた人もいたのですが、一団となってあらゆる見世物をするのはこれが初めてだったのです。
さらに1886年に、イタリアからチャリネ一座が秋葉原で開催したとの記録もあるようです。

・日本人によるサーカス
1889年には、日本人によるサーカス一座「日本チャリネー座」が結成されています。
その頃から曲芸だけでなく象や熊などの動物芸も披露されていたのです。
それから大正デモクラシーの中でサーカス団が次々と誕生しながら日本に定着していったようです。
戦争の混乱期には活動も停滞しましたが、今でもキグレサーカス、木下サーカス、ポップサーカスなどが全国を巡回して活躍しているところです。

 

ボリショイ・サーカスを語らざるを得ない

戦後の日本では、サーカスと言えばボリショイ・サーカスかと思われていた時代もあります。
1958年に日本で始まったボリショイ・サーカスは、今でも日本各地で興行されています。
ボリショイとは当時のソ連にあるサーカス団の名称かと思えばそうではなく、とにかくソ連からサーカス団を呼べば全てボリショイ・サーカスとして興行していたのです。
国立ソ連サーカス団では、あまりに陳腐なイメージになってしまうからと営業向けに考案したものなのです。
ボリショイとはロシア語で大きいと言う意味で、日本の興行会社が名付けたものだったのです。
今ではその興行会社の名前がボリショイ・サーカスになっています。

・ボリショイ・サーカスのルーツは日本にあった
それではボリショイ・サーカスは、単にソ連から輸入したサーカスかと思えばそうでもなかったのです。
その歴史を探ればそこに日本人の血が流れていたことはあまり知られてはいないでしょう。
実は江戸時代に見世物小屋で培われた大道芸人が明治になると、海外に渡り始めたのです。
その中にはソ連に渡る者も多く、そのハイレベルな芸が刺激となってサーカスの発展に寄与していたらしいのです。
つまり輸出したサーカスがソ連で発展し、輸入したような経緯を辿っているとも言える面があるのです。
それがまた国内のサーカス団への刺激となって好循環が生まれているのでしょう。

 

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