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正月といえば高校サッカー!その歴史をひも解く!!

  • 2019/01/11
  • ライフスタイル・娯楽
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第1回高校サッカー、その開催は大正6年

第1回高校サッカー、その開催は大正6年
1回戦は12月30、31日、2回戦は1月2日、3回戦は1月3日。
新年におこなわれるスポーツイベントは数あるのですが、中でも高い人気を誇る大会といえば「高校サッカー」(全国高校サッカー選手権大会)。実に、97回を数えるまでになりました。

JFAのホームページによると、高校サッカーの第1回が開催されたのは1917年(大正6年)。太平洋戦争などで数度の中止をはさみつつ、継続して開催されてきたのですが、歴史ある大会だけに、名称も数度の変更がおこなわれたもの。
記念すべき第1回の名称は「日本フートボール優勝大會」というものでした。

 

サッカーとラグビー、両方おこなわれた第1回大会

日本にサッカーが伝来したのは1870年代、外国人の軍人や教員によって持ち込まれ、教員を育成する師範学校、中でも神戸市の御影師範学校において盛んにおこなわれました。結果、近畿圏を中心にサッカーが楽しまれるようになり、1918年に大阪で開催されたのが第1回の「日本フートボール優勝大會」です。

この大会に参加したのは、先述の御影など師範学校が4チーム、旧制高校が1チーム、現在の高等学校に当たる旧制中学が2チーム。これら全てがサッカーが盛んな関西のチームだったのです。
にもかかわらず、なぜ「日本」と冠についているかというと、慶應義塾大学が参加していたから。関東から名門私大を招聘、大会に箔をつけようと思ったのでしょうね。

しかし日本フートボール優勝大會の名の元におこなわれたのは、サッカーの試合だけではありませんでした。同時におこなわれたのがラグビーの試合、というか元々この大会はラグビーのために企画されたもの。

日本最古のラグビーチームとされる慶応大学「體育會蹴球部(たいいくかいしゅうきゅうぶ)」を関西に招いてラグビーの興行をおこなう。しかし当時、ラグビーチームが関西には数少なかったため、盛んだったサッカーの大会もおこなうという経緯で開催されたのが、第1回の日本フートボール優勝大會だったのです。

というわけで、この大会、高校サッカーの第1回大会でもあり、高校ラグビーの第1回大会でもあるという、何とも……な、ものとして記録されています。
ちなみに気の毒だったのが、慶応大学ラグビー部。呼ばれていってみるとサッカーの試合にもエントリーされているわ、ラグビーのチームはレベルが低いわ。
結果、慶応は一試合も戦わず棄権した、という記録が残されています。

 

現在の形に近くなったのは、第2次世界大戦後のこと

こんな……な大会の名称が「全国中等学校蹴球選手権大会」に改められ、東京や広島、愛知など、関西圏以外からの参加校も見られるようになったのは1925年。次第に参加校も増え始め、全国大会の体をなすようになりましたが、まだ大きな問題がありました。
それは第1回から7連覇した御影師範など、現在の大学に当たるチームが旧制中学チームと混じって参加していたこと。

これが旧制中学のチームのみの大会となったのは、第2次世界大戦後の第25回大会から。
1948年の第27回大会からは「全国高等学校蹴球選手権大会」と名称が変更になり、1966年に現在の「全国高校サッカー選手権大会」となり、1976年の第55回大会からは決勝戦の会場が首都圏に移され、現在と同じような大会になったのです。

 

そういえば、高校サッカーは元日開幕では?

と、ここまで書いて思い出したのは「高校サッカーって元日に開幕していなかったっけ?」ということ。
現在のように、12月30日に開幕するようになったのは1994年の第73回大会から。開幕を2日早めることで休養日を増やすという、至極まっとうな理由からあらためられたのでした。

それ以前は大会期間中、休養日はたった1日だけでしたから、どれだけ選手たちはハードな日程をこなしていたことか。現在は3日間、休養日が設けられており、今大会の決勝戦は1月14日、埼玉スタジアム2002でおこなわれます。

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アントニオ犬助
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